台風、横浜市大からアニメイト、そして暴君。 [旅々]
またまた週末情事。
今週は横浜市立大学でイベント。なぜか暴君が参戦する、ということだったので若干の期待を抱きつつ、頑張って寝不足からくる不機嫌さを隠す。前日も20時から5時まで会議、10月の金曜日を返してくれ。
どうやら台風も近づいていたらしく、金沢八景に着くとひどい雨風。どないやねん。
10月も終わろうかとしているところへこの台風。色々と、この時期を象徴しているようで。
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イベント自体は、まぁ難なく終了?した感じ。
WindowsMovieMakerの可能性を感じたところで、なかなかタイムテーブルもしっかり守れてしまった。
無計画って恐ろしい。
横浜市大の店舗見学で、本の充実度に愉悦しつつ、モノを読まなければ行けない焦燥感に駆られる。
あと、セレクションが素晴らしい新刊漫画。思わずにやりとしてしまう。
横国はまだ漫画置かないのかねー。
働きマンくらいからもう始まってたっけ?
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初めて他大学の学生委員と交流する暴君が面白かった。
緊張しているのかなんなのか、言動がヘンだ。でもしっかりちゃっかりしてるな。
自己紹介で、「自分の大学の好きなところ」を挙げていくルールがあったのだが、
暴君は迷わず「夜景」と答えていた。てめーそんなキャラじゃないだろ(笑)。
まぁでも、後から聞いたら「女の子が多くてもうテンション激下がりでした。」とのこと。
健全でよろしい。
因みに、隣のドSもドS、ツンツンでは収まらないくらいとんがった女性に、
彼は終始怯えていた。僕も怯えていた。こえーよ。
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会も終わり、台風で家に帰れなくなる恐れがあったので全員早々に解散。風がすごかった。S本さんは見事に傘をインサイドアウトされていた。かわいいのぉ(遠い目)。そんなこんなで、京急のホームで横殴りの風雨にズボンを変色させられつつも、なんとか横浜まで帰ってきた。
そしてその後、そこくるり、KP、S本さん、暴君の4人で
ア ○ メ イ ト へ 。
キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・* !!!!!
明日(今日か)に企画本番を迎えるAんちゃんへのCAPねぎらいプレゼントとして、暴君がセレクションを行いに来たのであった。初アニメイトのS本さんも興奮しつつ、全員割としっかり財布の紐を締める。暴君はアニメイトの発する(ハッスル)空気にやられてしまい、財布の中のお金を全てつぎ込んでしまった(江戸っ子)(と言っても3000円くらいだった気がするが)。
Aんちゃんへのプレゼントも決定し、晩御飯でも食べようかと2Fをふらふらしていると、
K 山 先 生 登 場 。
キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・* !!!!!
なんじゃこの奇遇。
出会うまでに3回も行ってダブってしまった「みくるちゃんガチャポン人形」を手渡されながら、
今日パシフィコ横浜でなにやらイベントの手伝いをしていたと聞かされる。へぇ。
にしても、こんなとこでこんな時間に会うのは割と奇跡。
5人でご飯を食べて帰りましたとさ。
明日も頑張って。
うちは渋谷でM-1です。
おまけ
オシャレなイタリアンレストランで、
みくるちゃん人形を組み立てる暴君。
他人のフリ。
他人のフリ。
他人の不利。
怒涛の女子大 [旅々]
とりあえず、10月は怒涛も怒涛。
先々週に引き続き、先週も怒涛だった。そして今週も怒涛。
生協∩( ・ω・)∩ばんじゃーい。もとい万歳。満載。
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金曜日、久々の長時間会議。午後8時から午前4時45分まで。一番人が少なかった頃に比べると、3倍もの人数で会議。人数に比例して会議は長くなる、なんてことは言わないけれども、やっぱり議事進行は難しいよな。
「会議の進行スピードや議論の深さは、議長の腕によって左右される。」なんてことはよく言われるけれども、決してそんなことはない。もちろん、良い議長、悪い議長というものはあるだろうけれども、会議の責任は一人だけにあるはずがない。ある会議が上手くいくかいかないか、それは、そこにいる構成員全員が晒されるべき問題である。全員が自覚を持てるようになるまでは時間がかかるかもしれないが、それでも責任は平等に配分されてしかるべきだ。
「議長に腕がないから、話をまとめるのが下手だから、会議が上手くいかないんだ。」なんてことを言う人を、僕は信用しない。会議を形作っているアナタ自身が、どれだけ議事進行にコミットしたか、自分の胸に手を当てて聞かなければならない。
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で、朝六時に渋谷を出て、横浜へ。
翌日(ってもその日だな)のセミナーにはなぜかスーツを着てこないといけないらしく、わざわざ着替えるために家へ帰った。ひょえー。シャワーを浴びて、久々にスーツを引っ張り出し、びしっと決めて再び和田町駅から出発。滞在時間1時間もなかったな。
そして、行き先はなんと
日 本 女 子 大 学
新宿から少し先、目白で降りてしばし歩くとキレイなレンガが見えてきた。
とりあえずセミナー会場まで進み、準備に取り掛かる。
大人と学生入り混じってのセミナー作りとあって、風景はなかなか新鮮。
高校の文化祭、壁展示を思わせるステキな準備風景だった。
なにやらスーツと不釣合いな「てごね感」が良いよね。
そんなこんなで準備も整い、誘導へと外へ出る。
日本女子大、土曜日とも合って人通りはまばら。当たり前か。とりあえず、なにやら北関東の方からPTA企画で女子大見学バスツアーなるものが組まれているようだった。おっちゃんおばちゃん(おばちゃんのが多いな)が日本女子大の現役学生?らしき人に連れられて楽しげにキャンパスを回っていた。
このあと食堂に行ってお昼を食べたのだが、とにもかくにも女子大は女子ばっかり!
いや、当たり前なんだけど、どうにも落ち着かなかった。スーツを着てある種のコスプレが出来ていたからまだましだったものの、あれだけの女性の中で平然とご飯が食べられるわけないよなー。フレッシュパイン!
食堂のメニューもしっかりと女性向け。ビュッフェ?で合ってるっけ?形式で、お皿に色々とおかずを盛り付けていくみたいなコーナーがあって、すばらしかった。サラダバーのもっと種類が豊富なバージョン、とでも言えばいいか。チャーハンみたいなのとか、パスタにハンバーグとか、色々とあってそれが全部重さで量られるという寸法。やー、あれは食べ過ぎの元だねホント。
女子大にも種類がある、という風なことを他の地域担当の人から聞いたことがあるけれども、この日本女子大は確か非常にスタンダードな女子大、とのこと。確かに、見ていると実に様々なタイプの女性がキャンパスを闊歩していた。愛され系、コンサバ系、モテ系非モテ系に止まらず、腐女子系、ヤンキー/サブカル系、文科系、芸術系、ゆるふわ系、などなど、もうカテゴリー自体が良く分からないことになってしまっているが、道行く女性は個性で溢れているように見えた。ただ女性が集まっているからだけなのかもしれないけど。
最後に見せてもらった書籍購買でも、女性誌の充実振りは圧巻。そんじょそこらの本屋さんよりも品揃えは良かった。元来、ワカモノをカテゴライズするのはオトナの役割だったんだけれども、現在はワカモノ自らが○○系と称するようになった。抵抗なく、自分がある種の系統に属することを宣言できる人が増えているというのだ。確かに、周りも自分も含めて「カテゴライズされること=キャラ化すること」への抵抗を感じている人は少ない。
とりわけ女性はそれが顕著に現れて、少女時代から続く消費形態にあわせた自身のキャラ化、が進んでいるだろう。それが、雑誌の種類の豊富さにつながっている。これはまた今度。
クリアファイルの種類の豊富さに感動した。欲しかったけど時間外だったので買えず。
やはり女子大とも合って、消費のレベルはかなり高いようだった。うらやま。
日本女子大を後にして、目白から新宿へ、焼肉を食べた。美味。
その後帰宅して土曜日は就寝。ちょっと寝て起きて作業するつもりだったが、もう寝転んだらダメ。ばったり逝ってしまった。
メールにも気づかず、とりあえず午前6時に目を覚ます。まぁ前日寝てないからな。とりあえずシャワーを浴びて、再び午前7時半過ぎの電車で今度は品川へ。きっつ。
9時に東京海洋大へ。今度は留学生との活動をテーマにしたセミナー。色々と外国から来た人たちとも絡むことに。これはこれで楽しかったな。今まで、「外人は空気読めない。」みたいにして遠ざけるきらいがあったけれども、それは未だにあまり直っていないようだった。なんだろうなぁ、自分は人一倍保守的なのかもしれない。ある種の出来上がっている空気を乱されることに対して、異常な嫌悪感を示してしまう。自分が場を支配したいからか?やー、でもなぁ。なんでだろ。最近自分の保守性にスポットが当たりつつあって面白い。
セミナーは淡々と進む。これといった問題も起こらず。
午前9時から午後6時まで。日曜も元気に9時間労働。おつかれっした。
品川駅のバーミヤンでひとしきり「いじる」ことの楽しさを味わって解散。
金土日が終わった。長かった。
藤沢市女性学講座 [旅々]
ゼミの先生の連れ合いであるM田さんのお誘いで、藤沢市の女性学講座に「今を生きるワカモノ」代表として参加してきた。自分の母親、あるいはそれ以上の世代の人と話す機会はあまりないので、貴重な体験だった。
参加したのは、ゼミの3,4年生から女性が6人+一年生の子1人。男性はいつものI田Y川そこくるり3人衆。藤沢市主催?の生涯学習支援講座、みたいなのの一環らしい。いわゆるカルチャーセンターが推進するようなものだ。
午前9時から2時間ほど、受講生である3,40代~6,70代までの女性の価値観と、我々いわゆるワカモノの価値観がどれだけ違うのか、いくつかのテーマに基づいて話し合った。いやー、面白かった。
藤沢駅から歩いて10分程度。文化センターか何かの3Fに到着すると、10名ほどのおばちゃんたち(愛をこめて言っています)が既に着席。なんだかものものしいような、それでいて温かいような。なんだこれ、といった感じ。今思うとあのへんな空気は、やっぱり母親的なものに近い何かを感じ取っていたんだろうな、と思う。
さてさて、話し合ったテーマについて。一応、色々とあったので挙げておく。
・女性学について
・結婚についてどう思うか
・女性が働くことについてどう思うか
・貞操観念はあるか
・消費の快感、というものはあるか
・フェミニズムは終わったと言われるが、果たしてホントにそうか
などなど。
とりわけ、おばちゃんたち(愛をこめて言っています)の驚きの声が顕著だったのは、結婚観、貞操観、の部分だった。というと、「あまりにギャップがありすぎて」おばちゃんたちは驚いた、みたいにとられそうだけれども、実際はそうじゃない。むしろ彼女らは、「あまりの違いのなさ」に驚いていた様子だった。
おそらく我々20代前後のワカモノは、社会的なあおり、ないしメディアのあおりを受けて「性の解放が進んだ世代」として一般的に認知されている。出会えばすぐセックスするような、ラブアンドセックスの高みを極めたような世代として、見られているのである。情報過多になった今の世の中のせいなのか、不器用だった上の世代への反発/抵抗なのか、やることがないからなのか、色々と語られることは多いが、性的な自由を獲得した世代(っても世代論的に言うとよくないかもしれないけど)として生きざるを得ない風が吹いている。
しかししかし、結婚について、あるいは貞操について、おばちゃんたちとしゃべる中で明らかになってきたことは、我々が持っている観念とおばちゃんたちが守り続けていた時の観念がそれほど変わっていない、ということであった。あんまり変わらなかったよ、実際。
セックスする時には、ちゃんとしなさい(つけなさい)、ということや、
彼氏/彼女を家に連れていく(紹介する)タイミングはいつがいいのか、
あるいは、
男性がイニシアチブを発揮しなければならないのでは?という意識が、
女性の中にも男性の中にも顕著にあったり、
結婚に際して条件となるものまで(容姿、年収、価値観に両親との兼ね合い)、
結構な割合で一致していた。
もちろんそれは、「横浜国立大学のマルチメディア文化課程に在籍している学生」というフィルターはかかっているだろう。確実に。それなりにいい子ちゃんをしていた学生が、性の解放戦線に参加し善戦していたかというとそうではない。でも、一応ワカモノとしての意識は持っているつもりだった。
しかししかし、それがほとんどおばちゃんたちと同じ、だということに、まずおばちゃんたちが驚いて、そしてその驚きに今度は僕らが驚いた。面白かったなあれは。性の開放は進んでいるようで、進んでいるのはやっぱり一部のワカモノだけなんだろう。それがメディアに誇張されたのかな、とおばちゃんたちは言っていた。
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専業主婦の参加者も多く、聞けるお話はなかなか生々しい。「嫁姑の問題については、もう考えないことにしている。」という、ある種諦めにも似た意見が挙がっていた。やっぱりワカモノ、それもガクセーという温室では経験できない事柄が、色々と関係してくるんだろう。
講座後の立食パーティー(?)みたいなところでも、色々と主婦の方とお話。
「私の息子、不登校なのよー(笑)。
二人目も危ないわー(苦笑)。」
なんて元気良く話されても、何を返して良いやら分からない。こういうときに、人の話を上手く聞く才能は発揮されるよね。いやー、バイトで「おっちゃん、おっさん」の話を聞いて育った力が、こんなところで役に立つとは。
そんなこんなで講座は終了。12時くらいまでだったかな。色々とプライベートなことにまでみんな聞き込まれて恥ずかしかったけれども、それだけためにもなった。いい経験できたなぁ。M田さんに感謝。
色々と気になるトピックはあったけれども、それは手帳に書いてお持ち帰り。いやー、やっぱり女性ってのは面白い。すんごく。
その後男3人で、
江ノ島へ向けて歩いていくという素敵な旅をし、
10月の海を眺めるという素敵な時間を過ごし、
湘南モノレールのボックス席を3つも占拠し(すいてたんだよ)、
大船のファミレスで2時間ぐらいフロイトとTBSオールスター感謝祭について喋って、横浜へと帰還。
なんだか良く分からない一日だった。
で、その足で、家についてから、借りっぱなしだった寺島しのぶ主演の「ヴァイブレータ」を見る。
これがまた、タイムリーに女性の病理を描いた映画で…。泣くよなぁ、こんなの見たら。
こういう作品見ると、SchoolDaysなんてアニメを崇め讃えてる自分がバカらしくなるよね。
なにが携帯から始まる恋物語だよ、って、これは次の記事に。
おまけ
藤沢市内。病院かな?
食中毒警報発令中
なんだかこえー
夏の終わり。 [旅々]
夏の終わりが、終わる。
今年は、怒涛のような夏の終わりだった。忙しかった。でも、夏の終わりが進むスピードは変わらない。
8月20日にあった轟々しい夕立の後、夏はめっきり涼しくなった気がする。空が段々高くなり始め、セミの声が変わり、湿気がちょっとだけ渇いたものになっていくと、秋はもうすぐそこだ。
赤い赤い夕焼けに、青い青い夜明け。緑と黄色が混じり合った木の葉に、深い藍色の夜空と星。空気と風。
9月1日、一斉に夏は死ぬ。あるいは、余生になる。今誰もが、そんな風になって、センチメンタルさを抱く。止められない夏の終わりの中で、少しでも思い出を、と焦るのだ。焦燥感。
それはさながら、人が人生のピークを終えるときに似ている。秋、そして冬へと変わらなければならない自分を歎きつつも、それを受け入れるのはなかなか心地良い。痛みを伴ってこそ、それは思い出になる。
昨日までいた鬼怒川も、雨の降り方が秋の到来を告げていた。土を掘り返すような夏の夕立から、しとしとと土を宥めるような秋雨へ。冬への準備はもう始まった。
夏の終わりは、どうしてこれほどまでに早く過ぎ行くものなのか。
暦ではたった一日、カレンダーではたった数マスの変化なのに、8月31日と9月1日との隔たりは絶大だ。だから何、というわけではないが、師走よりも人の心が走り出すのは、この「夏の終わり」だろう。
そのスピードで涙も渇くけれど、心が彩づくのもそのスピードのおかげ、だから。
夏の終わり、
それはもう、
ただただ、夏の終わりでしかない。
それに何かを重ね合わせるのが、人であり、人である。
夏の終わり、
いかがお過しですか。
東北自動車道中膝栗毛 [旅々]
さて、深夜の更新を経て、これから東北へ出発。
全ては今日のねぶた祭りのため。
東北自動車道を延々と北上、
バスに揺られて8,9時間くらいかけて青森までノンストップだ。
そして明日帰ってきて、その足で大学、その後広島へ直行。
日 本 縦 断 。
とりあえず、道中と広島はなんとなく「そこくるり2.5」のほうで実況っぽくやります。
お暇な方はお楽しみください。
よーしじゃあ出発、と。
夏が来た、みなとみらいへ。 [旅々]
久々の「旅々」カテゴリーの記事。
ホント久々な気がするな。
というのも、やはり旅をする気分にならなかったのはその天気のせいが大きい。
7月終わりまで梅雨が続くってどんだけ~
余談だが僕はこの「どんだけ~」が心底キライである。なかなか、キライになるものがない自分にとってこれはもう新鮮なくらい、キライである。なぜキライなのかと言うと、書いてて段々腹が立ってきたので、次の記事に回したい。原因が分かれば分かるほど、腹が立ってくるな、これは。
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さて、大好きな「夏の終わり」を感じるためには、しっかりと「夏」を感じなくてはいけない。
というわけで、さっそく自転車にまたがり、Backpackerを背負ってみなとみらいへレッツゴーだ。
小学校、中学校、高校やらはもう夏休みに入ったということで、町を歩いているのもティーンエイジャーが目立つ。あとおっさんか。30度にも届きそうな気温の中、自転車で走ってパシフィコの横を越えて海沿いへ。日差しはとにかく強いが、潮風が気持ち良くてそんなに暑くもない。やー、風ってすごい。
最近、3日集中的に働いて、3日集中的に休んで、という日々が続いているため、「夏休みが来る」という感覚が、ない。よくよく考えると、長期休暇というものも、結局は「○日働いて、○日休んで。」という繰り返しなんじゃないか、なんて考えたりもする。まぁ今がただ単に暇なだけかもしれないけれども。
海沿いの公園には、だらりと寝そべる人たちが多数。
中にはパンツ一丁の人たちもいて、ビーチでもないのに変な感じだった。違和感。
まぁ天然の日焼けサロン(っていう表現も滑稽だな)が、ここにはあると思えばいいか。
サロン・ド・みなとみらい。
しかし、おっさんばっかりだったなぁ(笑)。いや、おっさんばっかりだよ。
赤レンガの辺りまで行くと、修学旅行の高校生集団?と遭遇。
この暑い時期に旅行とは大変だなぁ。
また海上保安庁見学て。
もっといいところ見せてやれよ。
夏休みも始まった、ので、もっと人はたくさんいるのかと思いきや、まばら。
まぁ火曜の昼間、というのも大きいかもしれないが、これで夏休みじゃなかったら、
で、天気が悪かったら、もう閑散も閑散、切ないことになっているんだろうなぁ。
今度また行ってみよう。
緑のお姉さん、パンツは白色でした。見たくて見たんじゃないよ。事故事故。
しかし、雲一つない空は久しぶり。
曇りにマゾヒスティックに堪えてきたのが効いているのか、
もう空が青いだけでテンションが上がる。ヒャッホウ。
自転車を飛ばし、山下公園へ。
めぼしい木陰を見つけて一休み。
ごろーん、と、横になって、幸せ。
木一本ごとにレストスポットが出来ていて、本を読む人、寝る人、膝枕でいちゃいちゃする人などなど。昼間っからお盛んな人もいたが、それはそれか。後は犬と戯れる人も多かったな。かくいう自分はギターと戯れ。芝生にBackpackerのライトブラウンが映える映える。やっぱり家の中で弾くのと、外で弾くのでは、全然音が違うよなぁ。悦。
一曲弾いては、寝転んで、ふわーっと。
危うく寝そうになった場面が何度もあった。
そのまま逆さまを向いてシャッターを。
天地が転地。
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時間も過ぎ、帰途につこうとすると、なにやら文化会館?の方から結構な声が。
どうやら合唱か何かのコンクールが行われていたらしく、高校生と思しき集団の歓声がどこからとなく上がっていた。中には山下公園まで出てきて、胴上げをするチームまで。所さんの「笑ってこらえて」で密着していたドキュメントさながら、「お前たち、よく頑張った!みんなで勝ち取った3位だ!」なんてことを言っている顧問の先生もいて、青春だなぁ、と感じる。
やー、いいね。ホントに、夏が始まったなぁ、というのを実感した。
そして夕焼け。
もう、夏だなぁ、ホントに。
日が長いのに加えて、まだ空はそれほど高くない。
これが、秋に近づくにつれてどんどん変わっていくと思うと、8月がものすごく楽しみになる。
さて、やっと、夏が来た。
夏の予定は結構山積み。9月まで割と怒涛の1ヶ月ではあるが、
ちゃんと楽しく頑張ろう。っても、毎月怒涛な気がするけどなー。
今日の腐女子~
のコーナー
何でもゴシック服を腐女子と認定するのは良くないが、
この合わせ方は腐女子認定もの。
しっかりメガネもかけていて(薄い赤のセルフレ)、
あとこの靴の感じがかなりキてるよね。
腐女子かわいいよ腐女子。
あと腐女子毛(そこくるり命名)のことについて、また書かないとな。
おわり。
広島と原爆ドームと娯楽 [旅々]
さて、広島出張まとめ第二弾。
平和資料館で見た写真からまた一つ。
なんていうか、このアングル、パノラマ写真なんだけども、これをきちんと撮った人がいるわけで、そう思うとちょっと恐ろしくもあった。この下にはきっと、というか「きっと」っていう推測抜きに死体がごろごろ埋まっているのに、ねぇ。むしろ逆に無機質だったのか、という予想すら立つくらい、興味深い写真だった。
不謹慎だと言われても、この景色、アングルは、きっと壮観だったろうに違いないと思う。シャッターを押すのは快感だったろうし、上から見下ろす景色はさぞかし綺麗だったことだろう。そう、その徹底的に破壊しつくされた美しさというか、それこそグラウンドゼロとも同じアーティスティックな様相。それが重要なわけで。そもそも原爆ドームも、「原爆の恐ろしさを忘れないために」なんていう理由だけで今日まで残ってきたわけではない。に違いない。なんていうか、その立ち振る舞いが美しかったから、今まで残ってきた、んじゃなかろうか。理屈抜きの部分に惹かれる要素がきっとあるはずだ。
あの痛々しい出で立ちしかり、いい感じに残った骨組みしかり、色使いに立地などなど、もろもろの事情が幸いして、あのドームは人々を魅了し始めたに違いない。って、いう意見を言うことを、許す世の中じゃないといかんよ。多分。
さて、資料館を早々と見終えて、ちょっと広島の町を散歩してみることに。
そういえば急いできたのでお昼ご飯も食べていなかった。
と、近くの喫茶店に入る。
カレーを食べていると、なにやら店主さんと店の外のおやじさんが世間話。
車にのったおじさんが縦列駐車をしながら、器用にしゃべってるなぁ…と思っていると、
突然、
ガンッ
あ、ぶつけてしもたー(笑)
あーあー(笑)、ワシ、知らんでー(爆笑)。
見んかったことにしてなー(笑)。ほな!
立ち去るおっさん。
おいっ(笑)!!!!!!!!!!!!!!
広島は実に素晴らしい町でした。
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川沿いまで行ってみると、なにやらジャズコンサートチックな催し物が。
なんだろう、もう「平和」っていうキーワードが広島には溶け込みすぎていて、ある種の伝統芸能化してしまっている部分はあると思う。もちろん、それが悪いなんてことは全くない。むしろ素晴らしい。
何の因果か、アメリカのカントリー音楽なんかも演奏されていたが、いいのか?いいのか。
そしてなんとなく碑を見て終了。こういうモチーフも、設計者の意図まで聞くとなかなか面白かった。ここに立つと、過去と現在と未来が見えて…みたいな、後付でない意味や意義がきっとあるんだろうねぇ。
とりあえず、難しいよね。「平和」っていうキーワードが娯楽化してしまっているっていう事実は、確実にあると思う。もちろん、そうじゃない人もたくさんいるんだけども、確実に他人事にしか捉えられない人たちはいるわけで、別にそれは誰が悪いわけでもない。知らないのは罪だ、とまでいくくらいの強引さがないと、まぁ平和っていうものは維持できないんだろうけども、果たしてそれが平和か、っていうね。いやでもなぁ、ゆれる。難しいよやっぱり。
「単純に、自分の好きな人だとか、家族だとかが死ぬんだよ、戦争って。それ、嫌でしょ?」
なんて切り出し方をされたら、そりゃ、嫌だよ、戦争。だけど、そんなことをリアルに考えられる人は稀じゃないのか、という問題。平和ってものはそれこそ「状態」でしかないから、種を蒔くと-花が咲く、みたいに、○○をすると-平和になる、なんてことが目に見えないから、誰にとっても実感は伴いにくい。「改善」って言ったって、既に「善」のところに居る人たちにとってそれはあたりまえのことだしねぇ。
だから、こうやって娯楽的に平和を知っておくのも悪いことではないんじゃないかと、最近は思いつつある。だからって、素直に感想を言うのを止めちゃいけないと思うけども。
何かしらクリティカルなことを言えばいい、みたいな風潮であったり、媚びない反戦論みたいなものはそこかしこにあって、溢れに溢れている。でも、その中でそれこそ表象的に、「ただ感想を言う」ことが、我々の出来る一番の平和アピールなんじゃないのか?と、思う。
「らき☆すた」見て、Darlin' darlin' F R E E Z E !! なんて言ってればいい気がする。
人生まるっとケネンナーシ、で、平和の極みでしょ。
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なんてことを考えながら見学も終了。
しっかりと広島焼きを食べて1日目終了。二日目の会議を終えて出張も終わり、だった。
現地と実行委員と全国のみなさんお疲れ様でした。
PeaceNowHiroshimaまであと1.5ヶ月くらい?頑張ってください。
平和公園で散歩する時間もしっかりと設けて、だらだら出来るといいのにね。
広島と戦争映画とパワプロクンポケット [旅々]
先々週の土曜、日曜と、広島へ出張!してきた。
なんだろう、あのホテルの幸せな感じ。出張っていう響きにあこがれていられるうちが華、なのか。
朝の7時過ぎに、渋谷、菊名、新横浜と経由して、新幹線で広島へ。
到着したのが大体お昼過ぎくらいだったかな。今までに2度、修学旅行と家族旅行できたことがあるが、両方とも車だったので駅を出て何がなにやら…。原爆ドーム前、っていう駅まで路面電車で行かないといけないらしいのだが、乗り場どこだよー、と迷う。
駅を出るとどしゃぶり。なんでやねん!午前中でやむはずだった雨が残り、まだしとしとと道をぬらしていた。とりあえず駅案内のお姉さんに路面電車乗り場と広島駅近辺の観光地図をもらい、いざ外へ。なにやら緑色のごうごうしい車が走っているなと思ったら、それが路面電車だった。京都でよく見るものと変わらないなと思ったら、「京都路線」みたいなプラカードがくっついていた。お下がりかよ!(笑)
人ごみに紛れながら乗り込んで、いざ出発。土曜のお昼ともあって車内は混みこみだった。
で、遅刻しそうだなぁ、早く電車進まないかなぁ、と思っていると、
それとは裏腹、スピードが出ない出ない。そして止まる止まる。
信号、割り込み、右折、などなど、「道路を走る電車」という威厳などまるでなく、何か暴走族にあおられる初心者ドライバーのような運転だった。いや、安全運転なんだろうけどさ。あと駅が100メートルごとにあるんじゃないかと思うくらい、(というか実際100mなんじゃないか)すぐに「つぎ止まります」の案内が。はえーよ!焦っている身にはけっこうこたえた。広島人は歩くのがめんどうなのかねぇ。というか料金が一律だから、乗れるだけ乗っとこう、となるのかもしれない。
150円を払い、原爆ドーム前で下車。大体20分くらい乗ってたんじゃないかなぁ、路面電車。駅によっては乗り降りにすごい時間がかかったりしていたが、時刻表とか大丈夫なんだろうか。時間通りに来ない前提?
さて、平和記念公園をつっきって、資料館前へ集合。10分遅刻、すみません。全国から集まった人たちと、広島での平和企画を運営する実行委員会の人たちと合流。自己紹介を済ませ、まずは資料館見学へ。13時から16時まで、なかなか長いな。
まず荷物置き場で迎えてくれたのはなにやらアニメちっくな張り紙。
広島まで秋葉原化が進んでいるのか?まだこれくらいの絵だと大丈夫か。
さて、高校生の時以来の平和資料館見学。なんとなく体と目は覚えているようで、ああ、こんなのあったなぁ、と展示物きっかけで記憶が鮮明になる。中学校の時は、「はいはい、被害者かわいそう、って言っておけばいいんでしょ。」なんてことを考えながら、先生に当てられると「この痛みを、違う場所に住んでいる僕たちも忘れてはいけないと思います。」なんて優等生的な答えを返していた自分がなんだか恥ずかしくなるなぁ。あの時からずいぶんとひねくれてたもんだ。
ジオラマも多分変わってないんじゃないかな。勉強というよりも懐かしみが先立った。
日本史を復習するかのように、パネルを見て回る。よくよく考えなくても、広島は立派な港湾都市だったんだね、そりゃ狙われるわなぁ。その日の天気が晴れだったから、原爆を落とすのは広島に決まった、っていう事実が、なんだか面白い。結局、大それたことっていうのは、そういうちょっとしたことで変わるんだよね。なんだか乖離的。
で、注目したというか、中学生の頃には目もつけなかったような部分が、やっぱり年を重ねると興味深く思えてくる。そのうち二つを。一つ目は「陶器の非常食」。
どこか置くだけポットみたいだが、この形状とこれを思いついた人の考え方が興味深いと思った。非常食というと普通は「缶」、つまりアルミなんかで密封したり保護したりするのだが、そうした金属さえももったいないと、鉄砲玉にすると、いうことで考え出されたのがこの陶器の非常食なわけだが。なんだろうね、この残念な感じが素晴らしく良いよね。哀愁が漂ってる。
どことなく救いようの無い感じが、魅力的になるというか。もちろん、当時の人は必死にこの方法を考え出して、必死の思いでこれに食べ物を詰め込んで、焼いて、食べる時は割って、なんてことをしていたわけだけれども、その時それが「最善の策」だったかというと、そうではない。だけども、そうせざるを得なかった、それを信じてやっていた、という盲目さに、我々は惹かれるのである。
でも、ちゃんと「かわいそう」って意思を表示しないといけないんだよなぁ。それって何か違う気がしない?
二点目は、ポスター。
これも、金属が足りないのでみなさん出してください、という募集のポスターだ。
だけど、よくよく見てみると、このポスター、なかなかセンスの良い色使いとデザインをしている。考えてみるに、戦争中、こんなポスターをデザインしている暇はあるのだろうか?金属を集めるだけなら、別に文書一枚をしっかりと作れば良いだけなのに、わざわざこんなポスターをしっかりとデザインしているのは、非常に面白いと思った。やっぱ暇だったのかな。
というか、その時代に「デザイナー」みたいな人がいたんだろうか。絵描き、がやったのか?印刷技術はもとよりあっただろうが、「金属を集めるポスターを書いて欲しいんだよ、チミ。できるカネ。」「はいわかりました!かんばって作成いたします!」なんて会話が行われていたかと思うと面白い。プレゼンとかもされたのかなぁ。
そして、なんとも残念なこの感じ。よくよく考えなくても、金属を集めるというのもなかなか滑稽なことをやっているわけで、でも当時の人はそれを信じてやっていたわけで。哀愁、それがキーワードか。
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普通、映画や音楽でも小説でもなんでも、戦争をテーマにしたものはなんだかその「攻撃性」とか「暴力性」に焦点を当てて、「戦争なんてことをしても、何一ついいことなんてない。」なんてことを謳っていることが非常に多い。というか、それ以外のものを探すほうが難しい。やれ爆弾はどれくらいの破壊力だの、何人が死んだだの、殺した方の精神はこんなことになりましただの、あの戦闘機はいくらするだの、戦争すると環境が破壊されるだの、そういった「危険」を知らしめることが第一目標になっている。が、それだけが戦争をなくす方法だろうか。ちょっと疑問だ。
なんだろう、いきなり銃で撃たれる人の映像を見せたり、被爆した人の写真を見せたりして、いわゆるその「ショック的嫌悪」によって、戦争の怖さを伝えようという手法は、色々なところでとられている。もちろん、我々はそういうものを好き好んで見てしまうというちょっぴりエッチな側面もあるのだが、そこで抱けるのはただの「嫌悪感」だけであることに気づいている人が、どのくらいいるだろうか。気づいた上で楽しんでいる人はいいよ、うん。
そうじゃなくて、もっと戦争の「切なさ」に気づいて、「戦争って怖いなぁ」と思う方が、効果的な場合もあるということを、ここでは主張したい。
ゲーム、『パワプロクンポケット2』という野球ゲームの中に、サクセスという選手を育てるモードがあるのだが、その隠し要素として「戦争編」という選手育成(お遊び)モードが用意されている。知ってる人は知ってるだろう。で、唐突だが、僕はこのゲームの中にこそ、「反戦」のもっとも強烈な(しかし退屈で怠惰な)形が表れているんじゃないかと思う。
兵隊となった主人公が、本部から北方戦線、西方戦線、南方戦線の三箇所に派遣され、200週生存を目指してサバイバルする、というような内容なのだが、その中で起こる様々なイベントの「切なさ」「哀愁」が、ふと我々の心を揺さぶるのである。
「銃剣で戦車に勝てるわけないでやんす」みたいなセリフだったり、おなかが空くとそこらへんにある草を食べてしま、赤痢になって死んでしまう情けない様子や、自国の戦車部隊が穴にはまって動けなくなってしまうイベントなどなど、用意されているものは全てがどこか情けないもの、残念なもの。プレイヤーである我々はそんな世界とは全く関係が無いので、コミカルに動く主人公やサブキャラクターをみてケラケラと笑うことができる。そして、「あー、くそー。ペストなっちゃったよー。やべーなー。」なんてことを思いながら、選択肢を選ぶわけだ。極めて怠惰。
でも時々、「勲章の授与」のシーンや「ロボット登場」のシーンなんかで出てくる2、3行の文章が、非常に心を打つ。そう、それがさっき言わんとしたことだ。どこまでも自由奔放な主人公と、全く戦争と乖離した我々。「何か起こってもしかたがないか。」「死んでも、まぁ、しょうがないよね。」という状況を受け入れている両者が、急に「死にたくない!」と思う瞬間、それこそが「反戦」の意志の表出なんじゃないかと、思うわけだ。
ギャップに上手くのせられていると言われればそれまでだが、ただ戦争を描いた映画なんかよりはよっぽど、効果的だと思う。「飲まず食わずでヘトヘトの主人公が、戦線の最高責任者室のドアをあけたら、編隊長がスキヤキを食べていた。」なんてイベントや、「今からお前たちには豚を連れて歩いてもらう。荷物をくくりつけて連れて行けば、牛みたいに使えるだろう。困った時は非常食になる。一石二鳥だ。」なんてお馬鹿な体調の命令など、残念で思わず笑ってしまうものが盛りだくさんなのだが、
そこで突然、「どれだけ武器が発展しても、結局一番下で戦うのは、おいらたち人間なんでやんす。。。」なんて言葉が出てくると、ね。わかるかな、このダメージ。
さっき挙げた二つのもの、陶器の非常食と、やけにセンスの良いポスターもそう。こうした文化的残念さや怠惰さ、それにたいして「面白い」という感想を素直に述べること、の方が、健全な方法なんじゃないかな。押し付けがましい衝撃アピールは、それはそれで効果的なんだけど、でもなぁ。
時計仕掛けのオレンジと同じというか、「反戦人間」を作り上げても戦争はなくならないような、気がするよね。
そうじゃなくて、もっと怠惰なアプローチが必要というか、そう、戦争映画にしても、本当に戦争をやめたいのなら、
2時間、3時間、ずーーーーーーっと面白くない映画を作らないと、戦争はなくならない。
という点で、我々は戦争をしっかりと欲しているのかもしれない。難しいもの。
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さて、話がそれたので第一弾はここで終わり。
次は広島見学に続くかな。
そうだ名古屋行こう [旅々]
ゴールデンウィークの最後、5月5日のこどもの日は、恒例、名古屋での読書会。
K田先生の所属するアブソリュートウェブ主催、二ヶ月に一度の勉強会兼懇親会だった。
横浜からはるばる車で…というのがいつもの道程なのだが、今回の僕はいかんせん教育実習との関係で滋賀県。ということで電車を乗り継いで、名古屋へと向かうことに。米原を越え、大垣、そして名古屋へと普通電車で約2時間と、思ったより名古屋は遠くない。新幹線を使うと大体30分早くなるくらいかな。そう思うと滋賀→名古屋は近いなぁ。彦根東高に通ってる時も、滋賀の北に住んでいる人には「うち、京都よりも名古屋のほうが近いでー」なんて言っていたような気がする。ふむふむ。
そしてなんというか、40分くらいで岐阜県を横断、縦断か、しているという。風景を見てても、何か岐阜県って、ねぇ。岐阜。微妙。鬱屈しそうな雰囲気が漂っていた。岐阜。岐阜。ちょっと考える余地がありそうだな。岐阜。GIFU。
名古屋駅に着いて、地下鉄に乗り換えて新栄町へ。
当たり前だがこどもの日。人は多い多い。
といっても、名古屋の観光名所って一体…。ぱっと聞かれて思い浮かばないなぁ。
文化不毛の地なんて言われてるけど、予備知識なしには出てこない。名古屋城くらい?
なんだろ。中継地点にでもなってるのか。
新栄町を降りて、公民館のようなところへ。
車線の広さは毎回圧倒されるなぁ。
どうやって右折すんの?と毎回思う。こえー。車で来たくねー。
さて、他に参加するいつもの二人(Y川くん、I田くん)と先生は、横浜から帰省ラッシュの真っ只中、高速を乗り継いでいらっしゃることに。ということで車組とは別行動。なんとなく一人で先に会場に入るのは怖いなぁ…なんてことを考えながらコンビニへ駆け込んで時間をつぶしていると、前を通るピンクの塊!!なんだこの違和感!
ロリータ!!
思わずデジカメでパチリ。
いや、秋葉原ならいいんだけどさ、横浜とかでも時々見るけどさ、なんというか、この写真みたいな風景の中を平気で歩かれると、ちょっと戸惑うね。ギャップがありすぎるというか、文化不毛の地が文化不毛の地たる所以がちょっと分かった気がする。自分が好きだからいいのよ!というわけには、いかないんじゃない。もう完全にお互いの目線しか視界に入ってないし、うーん、誰に対してのお洒落、ファッションなんだろうねぇ。まぁでも確実に、男のためではないだろうな。
こういうファッションに身を包むと、街をびゅんびゅん走る車が全部「かぼちゃの馬車」に見えたりするんだろうか。そうだったら素敵なのに。ビルがお城に見えたり、店が全部花屋さんとケーキ屋さんになったりしたら、そーだったらいいのになー、と。ファッションでイメージを着せ替えできる時代、いいね。
そうこうしながら会場へ。名古屋芸大の人たちとも合流し、14:30から読書会がスタートした。
読書会の模様は次の記事で。
読書会後の飲み会はなんと6時間にも及び、素敵過ぎた。
話が尽きないとはああいうことを言うんだろうね。これも次でまとめ。
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そして、ゴールデンウィークの最中、男子3人で名古屋のリッチなホテルにお泊り。6時間もしゃべった後なのに、まだまだ3人でしゃべる。結局寝たのは午前2時。振り返るとすげーな。 有料チャンネルについて1時間くらい話した気がする。こどもの日の何をやっとるんだ。
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夜が明けて、三者は三様の帰途に。僕は名古屋観光から滋賀へ、I田くんは先生たちと横浜へリターン、Y川くんは実家の名古屋へと朝イチで、それぞれお別れ。翌日から始まる教育実習を頭に入れながら、GW最終日を満喫しようと企む僕を背に、先生の自慢の車、赤いレクサスが颯爽と走り去っていった。
さて、前日までの疲れもあってか名古屋散策は不調。
美術館に行ってみるも、ちょっとハズレだった。まぁ200円だったからしょうがないか。
ダリ展がこっちにやってくる前の前哨戦、みたいな展示だったが、いまひとつ。
稼ぎ時じゃないんかね!客が自分一人とか、大丈夫かしら。
後は消費の街「名古屋」に圧倒されて、物欲ラッシュに負けて財布が悲鳴。
というか名古屋のLoft!すごいよ!あの建物はもう物欲タワーと名づけたいくらい、すごい。
全部、が、欲しくなる。あー、あんなのが近くにあったらやばいだろうな。
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さて、そんなこんなで最後のイベントも終了。
名古屋から滋賀へと今度は逆の電車をたどって2時間ほど。
帰りの電車で本を一冊読破して、さて明日からの実習かー、なんて思いつつ、長い1日が終わった。
さて次は、「そうだ教育実習行こう」かね。
もう3日目だけども。
おまけ
美術館のある公園にて。
「白川小学校ありき」
ありき、て(笑)。
おまけその2
うわさのハマショーバー
その名も、
路地裏の少年。うけるな。
真ん中下辺り、
カラオケ無料
(ただし、浜田省吾しかありません。)
名古屋すげー
そうだ祭り行こう [旅々]
というわけで、ゴールデンウィーク次なるイベントは母方の実家のお祭り。
祭りといっても、それほど大きなものではなく、地域の慣例を守ること優先の伝統芸能だ。
前日の夕方から泊まり、ちょっとした宴をして翌日の祭りに備えるのが恒例行事。
すっかり日が落ちるのも遅くなって、午後6時だというのに辺りは煌々。
小学校の時に和太鼓に触れて以来、必ず年に一度はここの太鼓で腕ならしをする。
住んでもいない町の祭り太鼓を、こんなに叩いている人間は他にいないんじゃなかろうか。
もうそろそろ運動不足がたたって、一通り叩き終えると腕がパンパンになるけども、
なんだろうな、あの、おなかにズンズンくる感じがたまらない。和太鼓。
やっぱり和太鼓というのは、リズムを刻むものというよりも「楽器」としての役割が非常に大きいと思う。
叩き方一つで、というか叩く人によって全然音が変わるし、
あと他人の「真似」ができない。
「叩く」っていう行為が“根源的な行為過ぎる”がために、どうアレンジすればいいのか、どう真似すればいいのか、分からないのだ。あの人のあの叩き方を参考に…と、“参考”にはできても、体の動かし方を真似るのは非常に難しい。というか不可能に近い。というわけで、必然的に個々人の「味」が和太鼓には出てくるのだ。もちろん、ある程度真剣に叩いた場合だけだが。
もう一つ、和太鼓はその「叩き方」も含めて、身体芸術でもある。すらーっと伸びた腕から振り下ろされるバチの軌跡がもうアーティスティックだし、叩きながらちょっとずつポジションを替えていく、腰を低くしていくような芸もある。その「叩く」という根源的な攻撃性をひたすら自分に向けることで「キレイ」に「美しく」なっていく様は見ていて快感だ。太鼓は太鼓の音色と、そして叩く「人間」を際立たせてそして「作品」に仕上げる、そんな芸術であると思う。
10分も叩けば汗だくになる。けっこうな運動なんですよ和太鼓。
さて、日も暮れて三兄弟は草笛作りへ。
綿毛の飛んだタンポポの残り茎を折り取って、
5センチくらいにしたものを加えて「ビー」って吹くと、「ビー」って鳴る。
なんじゃそら。
いや、なんていうか、いい音が鳴るよ!タンポポで笛が出来るとはなかなか意外。
と、感動したのは中学の頃だっけか。
一番下の弟Bがものの10分で勘を取り戻して吹き始める。ちくしょー
15分、20分と遅れて自分と弟Aもコツをつかんだ。懐かしいなーこの感じ。
エフワンみたいな音が出せたりする。タンポポ見つけたらやってみるとおすすめ。
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さて夜もふけて、またとりとめもない話を親戚中でしてから、おやすみなさい。
そして祭り当日。
ただ僕はその日、名古屋へと旅立たなければならなかったので一足先に祭りの後。
ちょっとだけ写真が取れたお祭り模様を一つ。
あのね、なんていうかね、
写真じゃ分かりにくいけども、このおみこし、
タ イ ヤ 付 い て る よ 。
か つ げ よ ( 笑 ) 。
「最近の子供は体力ないから…。」で片付けられているらしいが。もはや何も言うまい。
かけごえだけはきちんと「わっしょいわっしょい」と守られていた。
まぁ少子化過疎化が原因であって、子供たちが悪いわけではないかもしれんね。
5人とかじゃさすがにお神輿は担げないし。
なんてことを考えつつ、遠ざかる祭り景色を見ながら駅へと向かった。
名古屋で読書会が待っている。