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「祭りオタク」について本気出して考えてみた [そこくるりずむ]

オタク、という言葉の中に含まれる人物の姿かたちについて、最近思うところがある。

自分の周りだけ「ではない」広がりを見せている、インターネットを介した「実体のない気運」のようなもの(例えばニコ厨など)の正体は一体何なのかと何かにつけて考えていたのだが、昨日とある人との会話の中で面白い結論に結び付けられそうだ!と直感的に感じ、今タイピングしている。

 

1970年代のアニメ、特にガンダムブームを始祖として語られるオタクが、その言葉の範疇に含むものをどんどん増大させてきている様は、1960,70年代の「学生運動」的気運とどこかマッチするような気がしてならない。

 

 

 

斉藤環の『戦闘美少女の精神分析』を始め、様々なところでオタクの定義はされているが、主だったものは大体次のようなものだ。

・ある分野について、お金や時間にに糸目をつけず、全てを注ぎ込める人。

・アニメや漫画などの二次元"的な"ものを偏愛する人。

 

 

オタクのファッションについても色々と調べているが、やはり彼らがネルシャツにジーパンという服装(もちろんシャツはズボンにin!)なのは、単純に「DVD」や「フィギュア」にお金を注ぎ込んでいるからであるし、そうやって自らが偏愛するものに対する「知識」や、「モノ」をコレクションすることに快楽を見出している様子は、偏愛と言って過言でない。

パソコンオタク、鉄道オタク、アニメオタク、ミリタリーオタク、どうしても男性的なイメージがつきまとうのは仕方が無いが、そこは新たなジャンル「女性オタク」の登場によって、バランスが取れてしまった印象がある。クルマオタク、バイクオタクと続けると一気に領域は広がったように思えるが、そこにどこか近寄りがたい雰囲気が伴い続けるのは、やはりその閉鎖性によるものだろう。

とにかく、誰彼に聞いても一致するオタクのスタンダードなイメージは、やはり電車男などで培われた「あの姿」なのである。「あの姿」と聞いて今あなたが思い浮かべたイメージとスタンダードは、あまり変わらない。

 

 

 

しかし、最近(特に『涼宮ハルヒの憂鬱』以降)、オタクという人種にもう一つ、分野が加わったような気がしてならない。先ほどまでに挙げた「オタク」とはまた違った側面を持つオタクたち。そこくるりは「祭りオタク」と呼んでいるが、そうした人たちがある意味で現代のオタク界をリードしているような気さえする。ピンと来る人来ない人、両方いると思うが、その「祭りオタク」について少し見てみよう。

wikiの「祭り」の項に、「インターネットスラング」として掲載されている。


一部の電子掲示板で、特定のスレッドが異常な盛り上がりを見せ、流れが通常よりも速くなっている状態を(お)祭りという。

「祭り」が起こる原因はブログ炎上や芸能人等のスキャンダルな事件・ニュースが多いが、ネットいじめ(祭り上げられる)等といった迷惑行為であることも少なくなく(そうでないメディア等のアンチテーゼの場合もある)、それを見て面白がった者達が関連する掲示板のスレッドなどに続々と参加することによって「祭り」が更に盛り上がる。

この状態になると、「祭りだワッショイ(ワショーイ)」、「( ´∀`)お祭りワショーイ」というような書き込みも多くなる。

また、単に群集心理などに乗じた愉快犯的にこの様な行為を好んで行う者を指して、「ネットイナゴ」などの言葉も作り出されている。


 

こうした愉快犯的行動の最たるものとして、「オリコン1位にしよう運動」を見てみる。

 

 

 

 

2005年の『魔法先生ネギま!』テーマソング、『ハッピー☆マテリアル』。なんだかまだ記憶に新しいな、が、この運動のスタートである。5月31日付けのITmediaニュースで取り上げられ話題になったが、「オリコン1位にしよう!」サイトが立ち上げられ、Amazonや店頭などの購入を促進して結局最高3位まで上り詰めた。1月からの6ヶ月キャンペーンで割と長い戦いを強いられたようだが、1位をとれなくともあまりある勝利を、祭りオタクたちは手に入れた。因みに僕は5月バージョンが

2006年は『涼宮ハルヒの憂鬱』テーマソング、『ハレ晴れユカイ』。こちらは最高5位とハピマテには叶わなかったものの、「振り付け」という新しいジャンルを持ち込むことで、今まで以上の興隆を見せた。「高校の文化祭で『ハレ晴れ』踊りました!」というスレやらカキコミやら動画やら(ちょうどyoutubeが市民権を得始めた頃だ)がアップロードされたのは記憶に新しい。

キャラソンの売り方については「アニメ製作側が儲けるために『1位にしよう運動』をもちかけたんじゃないか!」と、オタクならではの冷めた視線もあったが、祭りオタクの絶対数がここで大幅に伸びたために、オリコン5位を獲得できたのだろう。メーカーに踊らされていると分かっていても、踊りたいのである。

 

そして2007年、『らきすた』のテーマソング『もってけ!セーラーふく』は、ウィークリーチャートで堂々2位を獲得することになる。これはまだwikiがアツイのでこっちを見たほうが早いだろう。言わずもがな、今年一番のブームとなったアニメのテーマソングはニコニコ動画の普及と合わせて数々のMADを生み出し始めた。また中途半端に出来が良過ぎる(真似されることを想定して作ったんじゃないかと思うくらい)オープニングアニメーションのおかげで、絵が描けない人も、小説が書けない人も、「二次創作」を行うことが可能になったのである。この功績は大きい。

平野綾効果、あるいは『らき☆すた』そのものがもつ自虐性自嘲性などなど、要因は他にもいくつかあるだろうが、二次創作の可能性をさらに広げたことで、ムーブメントそのものも大きくウェーブした。どこまで泉こなたが愛されていたかは曖昧3センチだが、祭りオタクがパロディのパロディだと分かってそれを享受していたことを考えると、そりゃ唯一ぷにってことになる。もとい唯一無二。ちょっ!歌詞の心地よいラッピングが清福(制服)で、1位を獲得したV6の新曲と比べても全然不利ってことはなかった。ぷ。

 

 

 

そうして広がった幅は、今『初音ミク』の登場による「音声二次創作」によって新たなステージへと進んでいる。もう、作ることは、楽しいのだ。

 

 

 

で、だ。それぞれのアニメで一つずつレポートは書けてしまうだろうが、それを包括的に見たとき、最初に書いたように、そこにあるモチベーションが極めて「学生運動」と似ているのではないかと、そこくるりは考えたわけである。

それを二つの側面から見てみよう。祭りオタクのオタク的側面と、学生運動的側面、それぞれの合致点とズレが、より祭りオタクの実体を暴いてくれることに違いない。

 

 

まずオタク的側面について。

オタク的、と言っている時点で先ほど書いた「オタクの定義」と合致する部分が多数あるのは分かるだろう。オリコン1位運動にしても、それらは全て「アニメソング」である。別に「倉木麻衣の曲を1位にしよう!」でも「鈴木あみの曲を1位にしよう!」でも、何でもいいはずなのだが、アニソンが選ばれたのは祭りオタクがやはりオタク的側面を持っているからに他ならない。

また、その「祭り」という側面も、オタクに必要な項目だ。

「祭り」のそもそもは、「祀る」であり、神様を崇め称えるという動機から生まれたものだった。とするとまず、オタクたちに祀られているものは果たして何なのか、という疑問に突き当たる。これは中々答えを出すのが難しいのだが(そこくるりくんは「母」であると主張したい)、とりあえず、何かしら実体の良く分からないものであれ「祀っている」ことは確かだ、という答えで抑えておきたい。対象も大切だが、その行為に今回は注目してみる。

 

再び斉藤環だが、彼によると「オタクの持つフィギュアは、いわゆる仏像の類」だという。これには心底頷ける。祀っている何かを偶像崇拝するために、オタクたちはフィギュアを集める、なんとも説得力のある言説だ。として、「設定本」や「同人誌」は、「経典」や「伝記物語」にあたるだろう。

そして先ほど挙げた「振り付け」。あれはさながら「盆踊り」である。シャーマンさながら、神を称えて祀るために、オタクたちは『ハレ晴れユカイ』を踊り、「もってい~け」と歌う。宗教とまでは言わなくとも、それに近いモチベーションで彼らは動いている。

 

つまり、資質として彼らは十二分にオタク足りえているのである。

 

だがしかし、最初の方で想像してもらったオタク(「あの姿」)のようなスタンダードさが、この祭りオタクのイメージと合致するかというと、そうではない。むしろ、緑チェックのネルシャツにダメージジーンズ、そしてダンロップのスニーカーにリュックからはポスターが…と散々揶揄されてきたような人種が、祭りに参加している姿は異様に思えるのではないだろうか。普通のオタクたちは、その作品が好きであれば祭りであろうがなかろうが「買う」はずだ。ハピマテのCDがオリコン何位になろうと関係ない。それは二次元偏愛者だけに限ったことではないだろう。

このように、コレクションを髄とするオタク、好きなものに対しては極めて純粋な態度をとる「普通のオタク」と「祭りオタク」の間には、埋められない溝がきっちりと掘り込まれているような気がする。だから前者は、マニアと言い換えても良いだろう。

 

つまりここまでの条件として、祭りオタクは、

・二次元的なものはそんなに嫌いじゃない。

・まぁでも、コレクションまでは別にしなくていっか。

という人種なわけだ。こうした態度自体、「ゆとり」によって形成されたのだ、という見方もある。

異論もあるだろうが、次の側面に移ろう。

 

 

 

学生運動的側面について。

どうにも、近頃の「Web炎上」などの様相を見ていると、そこに「ネット版学生運動!」のような気運が見え隠れしてならない。最近だと『恋空』のAmazonレビュー事件や、「薮本雅子ぶろぐ」あたりが有名だが、ROMの数を考えると相当な「運動」になっている空気はヒシヒシと伝わってくる。

 

 

スイーツ(笑)

 

そもそもの学生運動とは、社会的ないし政治的なものへの批判を持ちやすい学生が、自分たちのモヤモヤした気持ち、社会に出るまでのモラトリアムに悶々とした日々、モテないことへの恨み辛み、などを仮託して行うものである。何かしら自分の主義主張と合わないものへの反発を、あり余っているエネルギーを一挙に発散させて行う運動は、安保闘争や全共闘のようにパワフルだ。

として、Webを炎上させるようなモチベーション、あるいは大して好きでもない音楽のCDを買ってオリコン1位を目指すようなモチベーションは、やはり学生運動のそれとほぼ同じなのではないだろうか。

 

学生運動と祭り運動の共通点を挙げてみよう。

 ・大学生、あるいはそれに近い年齢、職業の人たちによって行われている。

 ・自らの主義主張に近い「徒党」に属し、運動を行う。

 ・抵抗反発すべき対象に対しては容赦のない批判を行う。

 ・その活動に全てを捧げようとしている人が居る一方で、大半は「なんとなく」従事している。

 ・大人数で行うことで、それなりの成果が生まれる。それが次なる運動の動機につながる。

 ・モテない。

これくらいだろうか。確かに、似ている。

これまたイメージの問題だが、学生運動が行われていた当初の映像に出てくる人たちが、そのまんま2007年の現在にPCの前でblogを炎上させる書き込みをしていると仮定して、あまり違和感がないのはなぜだろう。せいぜい、拡声器とヘルメットがマウスとモニタに変わったくらいだ。

 

 

とりわけ、恋愛至上主義の社会が完成した現在において、モテるモテないは「主義主張」に関わる問題にすらなっている。とすると、そこで抱く不条理さ「なんでモテねぇんだよ!」というような怒りが屈折して、「もう、オリコン1位にしてやんよ!みっくみくに(ry」と成り代わっていくのは想像に難くない。

そして彼らの活動範囲であるインターネット空間は、まだ無法地帯であるがために「人の利(人数)」を活かした「運動」であれば勝利は確実になる。よく出来たつくりである。

何か腹が立つ ブームが起こる 炎上させる 自分が炎上させた気になれる またブームが

という流れは、

何か腹が立つ 運動が起こる デモに参加する 自分が何かやった気になれる また運動が

という学生運動の流れと変わらない。

両者ともに、そこに目的や展望を持っている人物は一握りなのだが。皮肉だ。

 

 

 

 

 

長々と、祭りオタクの持つ2つの側面について見てきた。

彼らはやはり、ある程度オタク的なものを愛しつつ、

かつ自らのルサンチマン(モテなかった、才能が無い、金が無い)を発散する場所を求めている。

その欲望がネットという空間で出会い、大きな運動となるのが、「祭り」なのだろう。大学生で、かつヤンキーやギャルになりえない人種が行き着く先は、1960年で言う学生運動家、2007年で言うオタクなのだ。

祭りオタク=Vipperじゃね?という意見もあるだろうが、やはりそこにはどうにも埋まらないズレがある。「祭りには参加するがVipは見ない」という人もいれば、「VipperだがCDを買うのは断るッ!」という人もいる。2chが果たしている功績は大きいが、必ずしもVipperないしニコ厨だけが祭りを作っているのではない。

 

 

 

 

一斉にニコニコ動画が普及した様を見ていて抱いた感想から、こんなことを考えたわけだが、よくよく思い返してみると、2004年、あるいはもっと前、02とか?から、その地盤はどんどん整えられてきていた気がする。

ネットスラングが一般に使われるようになるまで、以前はそれなりに時間を要していたが(半年とか)、今はもうそのタイムロスがほとんどなくなってきているような気がする。単純なネットインフラの整備と、社会情勢の変化、コンテンツの充実など時間によってもたらされた枠組みの改変によって、新たな学生運動の基盤がオートマティックに整備されたと考えると、なんとも「歴史は繰り返す」な、といったところだ。

 

さてまた、次の祭りが始まっている。


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コメント 2

フェル

なんか全然関係ないことだけど・・・

ハピ☆マテの五月のこやまきみこ、狩野茉莉、松岡由貴、志村由美、門脇舞衣って凄い豪華ですよね
やっぱりロリ月は最高です
㌔㍉㌔㍉
by フェル (2007-12-04 18:20) 

K山

 浜崎あゆみでなくアニソンが「祭り」の対象となりがちなのは、その音楽性における「敷居の低さ」所以だと思います。
 歌詞・音楽世界に実存的意味を投影したい(=ミスチル)、ロック(=X)やメンヘル(=椎名林檎)は敷居が高く、シチュエーションメイキング機能を担保するポップミュージックは祭の非日常ではなく日常を志向します(夏、海=TUBEみたいな)。
 アニソン以外にもハロプロ等のアイドル歌謡曲がそれに値します。「声優や素人アイドルが歌う」ことや歌詞のあほらしさゆえ、本来の音楽や歌詞へのコミットからからズレ、「ネタにする」振る舞いを可能としているわけです。


 自分の意見としては、単なる祭オタクはオタク足りえません。祭にコミットする動機が単なる実存不安であれば、小泉大勝も同じく祭、だからです。
 いわゆる「アキバ2.0」がそうですが、外見上はモテそうなのに形だけオタクにコミットする「ゆとり」が増えています。様々な要因を思いつくわけですが、全体としてみれば、やはり「敷居の低いものにコミットしたがる」所以の顛末だと感じます。
 現に世の中に恋愛至上主義的価値観が浸透すればするほど、恋愛マーケットに参入する以前から「一抜けた!」宣言するゆとりが増えます。ケータイ、webで人間関係が網目状にリンクすればするほど、現実の人間関係が希薄化する「かもしれない」予期不安が浸透します。それゆえ「敷居の低い」二次元にコミットする方が、裏切られた時のダメージが小さい(というより裏切られることがない)。
 元々日本には公共性原則が存在しません。ゆえに「○○を語る」ことは「語り手自身が○○についてステイクホルダーである!」と梯子を外されます。
 「恋愛市場主義はイクナイ!」と叫んだところで、「オマエがもてないだけだろww」となるわけです。ゆえに、どうせ公共性が存在しないなら、「動物の振りをして」オタク化した方が楽しい。
 ところが、ここの部分の歴史を忘却しているがゆえに、ネタでなく本当に「動物化した」オタクが増えた、というのが近年の祭を見た際の印象です。
 月並みですが、祭はあくまで楽しいから祭です。そもそもオタクとそれ以外の境界も必要ないかもしれません。ところが祭を自意識過剰や馴れ合いの場所に使う輩が多い、楽しければオッケーな筈なのに。
 個人的な意見では、そろそろオタクマーケットも閉塞に向かう方が良いかもしれません。三次元で頑張れる人は頑張る。大衆化すれば、本来のオタク文化が持つ歴史性や専門性が失われます。

長文レススマソ
by K山 (2008-01-05 02:23) 

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