『未来講師めぐる』 [テレビ]
テレ朝系で金曜11:45に放送されている、「未来講師めぐる」が面白い。
『時効警察』ほど狙っているわけではなく、『SP』ほど自信満々でないこの感じがすばらしく気だるくて良い。久々に良いドラマだなー、と思って見ている。まぁ金曜深夜のドラマをゆっくり見られるなんてこと自体が大学4年間であんまりなかったことなのだが。
未来の見える塾講師、吉田めぐるが主人公。バカな彼氏にバカな塾長にバカな親にバカなアルバイトにバカな祖父にバカな同僚に、バカな主人公。ストーリーすらあってないようなものだが、一応一話に一テーマで物語りは進んでいく様子。まだまだ先は見えない。
脚本は言わずと知れた宮藤官久郎。原作はあるのか?分からないけども、知らずに見ても「あぁ、クドカンっぽいぞー。」と思わせるようなシーンがいくつもある。(余談だが、クドカンが日本の脚本に与えた影響は実はすごい大きいんじゃないかと思っている。椿三十郎ですら、「笑い」の描き方がクドカンっぽかった。それだけ、映像を受け取る我々の中に「クドカンっぽいもの」という共通認識ができているんだろう。)会話のテンポもスピーディで素敵。でも、なんでか、腹が立たないんだよなー。なんでだろう、このドラマ。
弥次喜多の時に感じたような「狙いすぎ」感はこのドラマにも同じように漂っているはずなのだが、その時の腹立たしさが「未来講師めぐる」では全然襲ってこない。謎。
時効警察の時には、「時効警察を好きとか言って、笑いを分かったような気になっている奴らが許せない」ということを頻繁に感じていた。しかしそんな感情が今回の「未来講師…」に対しては、全く抱けない。それはなんでだろう、とドラマを見ながらしばしば考える。
他にも「くるりを好きとか言ってるような、音楽をファッションとして受け取っている奴らが許せない」だとか、「ダイバスターを見て、シュールってこれだよね!とか言ってる奴が許せない」とか、「ラーメンズはアートだよね!なんて言ってる奴は死んだほうがいい」とか、そういう感情は本当に自分の中によく生まれてくる。お前ら、とんだサブカル野郎だろ!と。
けれども、結局それらは全部自分に返ってくる。果たしてファッション以外で「無駄な」ものを消費できているのかい、自分よ、と。で、それに苛まれてダウンタウンのDVDをエンドレスで見るという「癒し」に走ってしまう今日この頃。ドラマ一つを見るのもしんどいってのは、さながら病気だなー。
さて、話は逸れに逸れたが、「未来講師めぐる」が面白い、という話。
このドラマの売りは、深田恭子の演技力を置いて他にない。何がすごいって、フカキョンのとにもかくにもヘタウマな演技が、絶妙に「リアルな虚構」を演出している。
役者の力量っていうのは普通、その演技がどれだけ「リアルか」で量られるようになっていた。いくら空想のお話でも、それが「さも現実にあったかのような」ストーリーとして観客の目に届くように、俳優は徹底的に「自然な」演技をするように教育されていたわけである。特にドラマや映画など、観客の位置すらもカメラワークによって変えてしまえるようになってしまった時代からは、その「自然さ」「現実感」に重きが置かれるようになった。(演劇とかはまたちょっとタイプが違う。)
しかし、時折その「自然さ」は、破綻することがある。どう頑張っても、現実感を伴えないようなシナリオが上がってきた時、演技がリアルでなくなってしまうことがある。赤レンジャー役の人間が本気で演技をしても、どこかウソっぽく、子供だましっぽく、見えてしまうのはそのためだ。ウルトラマンしかり、仮面ライダーしかり、いくらリアルな演技をしたところで無駄な場合は往々にしてある。
そして、この『未来講師めぐる』のシナリオも、かなり無理がある。赤レンジャーと同じくらいの非現実性がある。とした時、フカキョンのヘタウマな演技は、相当にその「アンリアルさ」にマッチしているのである。もしこの主人公「めぐる」を、もっと演技派は女優が演じてしまったら、きっとドラマは破綻してしまっているだろう。フカキョンがやるからこそ生まれる「リアルでない様子」は、シナリオの「リアルでない様子」とぴったり合致するのである。彼女の演技を見ていると、シナリオとのズレのなさにほっとするくらいだ。中谷美紀がめぐるをやってたら、きっと気持ち悪くて見ていられない。
『富豪刑事』の時もそうだったが、ありえない設定には、ありえない演技を、といった時にフカキョンは輝く。彼女は類まれなる「アンリアルな虚構をアンリアルに演じる最適な才能」を持っている、ということだ。
すばらしいぞ、フカキョン。
さて物語りも徐々に進みつつある「未来講師めぐる」。またクイックジャパンが取り上げそうなネタだが、とりあえず今季は見守ってみよう。
木村みちるさんかわいいよ木村みちるさん。
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