Escape From The Thinking ! Kyoto ! 4 [旅々]
さてさて最後の京都旅行日記第4弾。
1、2、3は下よりどうぞ。
Escape From The Thinking ! Kyoto ! 1
Escape From The Thinking ! Kyoto ! 2
Escape From The Thinking ! Kyoto ! 3
御髪神社を後にして、嵯峨嵐山駅へとそろそろ戻ろうか、という算段。しかし、道筋に野宮神社があるらしく、これは寄らねば!ということで道筋を変更。竹林をくぐって、向かうことに。
5分もせずに到着。
恋愛成就?縁結び?で有名らしく、カップルがたくさん。
ハチクロが浮かんだのはそこくるりだけじゃないはず。
残念ながら読みは「ののみや」らしいが。
恒例の絵馬コーナーも、やっぱりあんまり面白くない。
カップルばっかだしなー。
グィグィ行け行け。
過去になんかあったんだろう。
逆にこっちは…
なんかこええええええええええええええええええ
一昨日あったGOTHICAみたいな怖さがあるね。
他にはなんか残念な落書きがあったりして。
AKB48 Loveて。
頑張れ小池ビル。
●
そんなこんなで、全員疲れがピークに。電車で京都駅まで戻り、一日の行程が終了した。
まだ秋の空は高かったが、この後すぐ暗くなるんだよなー。
そこくるりくんはアヴァンティに寄ってそのまま実家へ。滋賀近くて幸せ。
他のメンバーはこれからホテルで飲み会らしい。京都の夜に飲み会とかいいなー。
とりあえず、ゆったりと過ごせた一日だった。
最後はババチャリでまた篠原駅から自宅へ。手カバーあったかい。
みんなお疲れっした。
さて次は卒業旅行かな?4年ももうすぐ終わりだねー。
おまけ
京都の駅中のショーケースにあるケーキがひたすらおいしそうだった。
モンブランが食べたい。
Escape From The Thinking ! Kyoto ! 3 [旅々]
京都旅行からもう一ヶ月がたってしまった!それだけblogを書いてる暇がなかったということだろう12月。
やー、しんどかった。
とりあえず第3弾。1と2は下よりどうぞ。
Escape From The Thinking ! Kyoto ! 1
Escape From The Thinking ! Kyoto ! 2
とりあえず午後の部より。
嵯峨定食を満喫した後、とりあえず次のお寺「大覚寺」を目指してチャリを飛ばすことに。
再びあの6人が、テロのように嵐山を駆け巡る。
激 し く 邪 魔 。
もう危険極まりなかった。
やー、やっぱりシーズンだけあって道路も歩道もコミコミ。
これは警察に見つかったら捕まるレベルのデンジャラスライディングだったぜ。
●
そこは持ち前の運動神経で(全員文科系っぽいが)カバーして、するりするりと道路を抜けていくと、やっとのことで大覚寺。けっこう遠かったな。
緑と赤の対比がえもいわれぬキレイさだった。
緑青もいい色してるね。庭ありき建物、建物ありきの庭、助け合いって素晴らしい。嘘。
でも紅葉の赤が一つ一つ違って面白かった。
なんていうか、マットな感じの赤があったり、やたらヴィヴィッドだったり、黄色が強かったり、と千差万別。
色彩検定のカラーリングテストを思い出してしまった。
しかし、朝5時から行動しているメンバーたちはそろそろ疲れが出てきたよう。
そら疲れるわな。
割とあっさりめに大覚寺を後にして、今度はどこにしようかと迷う迷う。
●
M田くんの「髪の毛の神社が確かあった気がする」という記憶を手がかりに、
髪を祀ってある神社を目指すことに。
手がかりは極めて薄かった(髪の毛だけに)が、
それでもめげず、地図を頼りに細い道を抜け(髪の毛だけに)て、
草木が茂った(髪の毛だけに)道を越えると、
やっと神社に到着。
「御髪神社」と言うらしい。天皇の宝物を紛失した責任を取って、髪結いの仕事を生業とすることになった藤原基晴さんが祀られているそうだ。ほう。
しかしまぁ、髪の毛の神社とあって、スポンサーが豪勢。
リーブ21がうけるな。
●
さてさて、神社と言えばいつものこのコーナー。
突撃!隣の絵馬!
毎回タイトルが変わっている気がするが、今回もこの御髪神社で見つけた面白絵馬をいくつか紹介しよう。やはり髪の毛の神社だけあって、それにまつわる願い事がたくさんだったぞ!
まずは
「けなげ(毛無げ)な励まし(禿増し)。」
娘に願われると、逆に切ない気がしてくるぜ!
「ふさふさで… お願いします。」
泣ける。
続いては、
「(見た目も)」
よーーーーーーーーく見ると、
「目」の字間違ってるからね。
他にも、これ以上やめて系や、
美容師関係の絵馬が多かった。まー確かになー。
●
神社で休憩しつつ、トロッコ乗り場などを見学して時間は14:00前後。T村君が「そろそろ切ない感じになってきた」と漏らし始める。快晴ともいかない空と、朝5時から行動している疲れもあってか、そろそろ全員の胸にぽっかりと穴が空き始めていた。(なんだそれ)
というわけで、
つづく。
韓国人ツアーズ その2 [レポ]
続いてコープかながわの見学。
年末商戦も始まったばかりの時期だったが、月曜日はなぜか「バイバイマンデー?」みたいな名前の、ポイント倍デーらしい。センスはないが、サービスは魅力的らしく、客足もそこそこ。昼間なのになー。
韓国人は、カゴとカートを手に入れるや否や、颯爽と売り場を駆け巡り始めた。
お目当てはどうやら…
納 豆 ら し い 。
どんだけ好きなんだよ韓国人。
懲りずにキムチを勧めるコープかながわの役員のおじさん。
全員に苦い顔をされていた。うける。
やっぱり日本のキムチは、ぜんぜんHotじゃないらしい。
ノンノンノンノンノンノンノンノン、って言われても、まだ勧めるおじさんKY。
昼間は眠くて眠くて仕方が無かったが、とりあえず行程をこなしつつコープかながわ見学終了。福祉施設の見学なんかもあったが、ほとんど覚えてないなー。タイムスケジュールが甘かったことぐらいしか!
●
再び江田駅へ戻り、今度は横浜観光のため桜木町駅を目指して地下鉄へ。
桜木町で降りて、
ランドマークタワーに上る組と、ポーターズの観覧車に乗る組の二手に分かれるらしい。
Y専務 「そこくるり君、英語できるよね?」
そこくるり 「は?はぁ。めっちゃちょっとですけど…。」
Y専務 「じゃあ観覧車組よろしくね。」
そこくるり 「は?」
Y専務 「 通 訳 さ ん 一 人
帰 っ ち ゃ う か ら 。 」
そこくるり 「いや無理ですって誘導とか。」
Y専務 「なんとか、さ(笑)。俺よりましでしょ。」
と告げられて横浜駅を通過。桜木町に降り立って、二手に分かれることになってしまった。
全員一緒にランドマーク行けよ!(笑)。
●
降りかかった火の粉は掃わねばならぬ、
ということで、Please, come here. とかなんとか言いながら、
中学生英語で誘導しつつ、色々と説明。
「Seaです。あっちがSeaです。」
とか、
「すみません、Hurry up ! でお願いします!」
みたいな。なんだこれ。
歩くこと10分くらいで、無事ポーターズに到着した。
が、
ここへ来てまたこの韓国人8人ほどがぐずり、
結局自分を含めて4人しか観覧車に乗らないことに。おいおい。
ランドマーク行ってりゃよかったじゃんかよー、と思ったが、
「タカイトコロ、コワイ」と日本語で言われてしまってはどうしようもない。
そして、We will go shopping ! とぬかして買い物に行ってしまった。ほー!
仕方なく、残った3人をつれて観覧車へ。
横浜に住んでいながら、何気に乗ったことの無かった観覧車。
ついに、ついに、
人生初、
みなとみらい観覧車
キタ━━(゚∀゚)━━ !!!!!
(しかも経費)
た だ し 、
韓 国 人 男 性 3 人 と 、
みたいな。
12月17日の寒空の下、
男4人で観覧車しかも多国籍。
これは笑うしかない。
ははは。
眺めだけは抜群にきれいだった。
やー、ほんとにきれい。
ただし、自分が海側に座ってしまったため、
自分の乗っているゴンドラの位置が
(観覧車図)
■
■ ○ →■
__ ■ __地面
の時は大丈夫だが、
(観覧車図)
→■
■ ○ ■
__ ■ __地面
のように頂点に来た時、
「海だ!海だ!」みたいな韓国語で騒ぎ立て、
そこくるり側にカメラを持ってなだれ込んでくる。
すると、
揺 れ る 揺 れ る 。 観 覧 車 。
KOEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!!
こっちくんな!こっちくんなって!
なんて言うに言われず、ただただ怖い思いをする。
「インターコンチネンタルホテル!」なんて盛り上がりを見せながら、
全員が観覧車の左側に。だから危ないって!
どうでもいいが、これ部屋の中見えそうだな。
なんとか無事、下界に降り立つことに成功。死ぬかと思った。
言葉が通じないって怖い。
ショッピングを楽しんでいた韓国人とも合流し、帰途へ。
途中のショッピングモール入り口で、シャボン玉が吹き出る演出が。
素敵すぎるだろー。
とりあえず集合写真を撮ってあげた。
ハイチーズ、じゃ全然通じなくて、
なんだか残念な感じになってしまった。うける。
3,2,1、なんとか!とか言うらしい。フィーリングでやったらOKだった。ラフだな韓国人。
あと韓国人、やたらと「自分撮り」をする。あれがよく分からない。
カメラを自分の方に向けて、イェーイ!みたいに映ろうとする。
なんだろうなー、あのモチベーション。風景+自分、っていう。
日本人ではヤンキーが主に行う「自分撮り」。
デフォルトで身についているのかねー、韓国人は。んなことないか。
またタイムスケジュールの甘さが露呈して、ランドマーク組と観覧車組の足並みが揃わず、結局別々にタクシーで大学まで帰ることに。勝手に帰らないで!専務!
●
横浜国大にようやく戻り、最後の懇親会へ。疲れた。
どこまでもやさしい人たちだった。
なんだか多言語で気を使われると、反応をどの時点でして良いのか分からなくなるね。相手の言葉分かってないのに相槌うったら失礼だろうし、でも通訳を待つまで聞いてないわけにもいかないし。どうしてたらいいんだろうね、異文化。まぁでも勉強になった。
韓国のワインに舌鼓。人気の寿司を取り合いながら、楽しく懇親会も終了。
韓国人のみなさん一日お疲れさまでした。
専務早く経費を下さい。
韓国人ツアーズ その1 [レポ]
17日の月曜日、韓国の大学生協の方々十数名と、横国大&コープかながわ&みなとみらい近辺を巡った。通訳を通したぎこちないコミュニケーションorつたない英語同士のコミュニケーションだったので、色々と苦労する場面はあったが、それにも増して楽しかったのは事実。異文化交流はするもんだ。
●
マンガ『嫌韓流』を3巻とも読了しているそこくるりにこんな話が来た時点でギャグなのだが、別にここに来た韓国の人たちがどうこう、というわけではないしな。嫌韓のそぶりすらみせず笑顔でコミュニケーションできた。とりあえず順を追って振り返ってみよう。
まず朝。思いっきり30分遅刻してしまい、理事長にご迷惑をかけてしまう。
やー、ごめんなさい。起きられなかったんです。
前日までの全国総会の疲れが出たんだろう、眠気に勝てなかった。因みに韓国の人たちもこの大学生協の全国総会に合わせて来日し、そのついでで横国&かながわを見るとのことだった。11月に逆バージョン(横国とか横市の人たちが訪韓している)を行っていたので、そのお返しといったところか。というわけでよくよく考えると15日16日とつくばで会っているわけなのだが。
KPくんが作ってくれたPPtを用いながら、学生委員会の活動を「組合員活動」として韓国の方々に順々に説明していく。準備なんてまったくしていなかったが、内容自体はなんとかなるような感じだった。
それよりも難しかったのは、通訳さんに通訳を頼むタイミング。
「えーとですね、……、というわけなのですよ。(チラッと通訳さんの方を向いて合図)」
「チョンワビエラー、セチジュヒムトセヨ、テムヤムニハムニダ」
と同時平行ならぬ同時順行で進んでいくのだが、どの程度まで話してから合図を送ればいいのかが全くわからない。短いセンテンスで切りすぎると、「んなもんわかっとるわい」と思われそうだし、長すぎると「なげーよ。整理しろよ。」と思われそうだし、どっちに転んでも災難でしかなわけだ。しんどかった。
それでも、韓国の生協にはこうした学生委員会のような組合員が主体的に活動する組織はほぼないらしく、新鮮というよりももはやうらやましがっているくらいの印象だった。というのも韓国の大学生協はその出発時点から日本のものとは素養が違っているので、致し方ない部分はあるのだが。
向こうはまだ根強く残っている「学生自治会」のような大学直属の組織が幅を利かせているようで、生協の学生委員会なぞに、学内の福利厚生を任せておけるか!といった状況なのだという。確かに、日本の大学でも自治組織との棲み分けが上手く行かず、スマートに活動できていない学生委員会はいくつかある。
とりあえず、簡単に言うと「組合員活動の日本、事業活動の韓国」というのが率直な感想だった。
事業、サービスの面で日本は韓国に(多分)遠く及ばない。経営状況やキャリア形成支援など学生に即した大学サービスの充実度は日本のダメダメっぷりを見れば明らかだ。絶対に、バレたらやばいような経営方式をとっていたりするよ、日本の生協。危ない。仕方ないけど。
韓国の方から出た質問事項も、「学生委員はタダで働くんですか?」や、「組合員活動の際に必要となる経費、お金はどこから出るんですか?何と言う項目で支出として扱っているのですか?」などなど、具体的な活動を取り巻く状況についてがほとんど。やはり経営に直接関わる部分のものとして、組合員活動を見ているようだった。
逆に日本は「組合員活動、うん、いいじゃん♪」というフォローアップ。これはこれで生協の理念に即していて悪いわけではない。日本と韓国の「文化」の差と、「社会情勢」の差、それが大学生協の仕組みや体勢にも影響していると思うと面白かった。
●
さて、マジメな生協論はどうでも良いのだ。
お昼になり、シェルシュでご飯を食べてもらうことに。案内に手間取る。専務のタイムスケジュールが甘すぎなんだよ!と今更ながらに気づきつつ、とりあえず席を確保して案内した。
な ぜ か 、
納 豆 が 、 大 人 気 。
写真奥のイケメン韓国人が絶賛していた。
さっきまでは通訳の方を通して話していたのだが、よくよく考えると英語が通じるのでは?と思い立ち、話しかけることにチャレンジする。もう中学英語は手馴れたものなので、「Can they speak English?」とふっかけると、ピンクの服を着たおばちゃんがぺらぺらと話してくれた。なんとか聞き取れるものの、「日本語なまりの英語」があるように、彼女らが話すのは「韓国語なまりの英語」。スムーズにコミュニケーション…というわけにはいかない。それでもめげずに話していると、なんとか通じ合った。
「How do you feel this KIMUCHI !? Hot?? No Hot??」
「No No No No No …」
どうやら生協のキムチは全然辛くないらしい。邪道だと。
あとは、
「What's your major ?」とか聞かれて答えに窮したりした。
てか「何を勉強してるの?」なんて、日本語で聞かれても答えられないぜ!マルチ!
「Education Course」とか、「Animation!」とか答えたな。
「Animation!」と言うと、「宮崎ハヤオ? アンノ?」などと帰ってきた。
や る な 韓 国 人 。
エヴァとか普通に知っていたという。韓国おそるべし。
つたない英語でエヴァ談義をした。面白かった。やっぱり人気(Popular)は綾波らしい。
●
お昼を終えて、学内見学を終えてコープかながわに向かって出発。
田園都市線の江田駅という、なんとも微妙な駅に降り立つのであった。
続く。
Escape From The Thinking ! Kyoto ! 2 [旅々]
先月の京都旅行から…もう3週間。11月26日だったか。
懐かしさすら覚えるが、せっかく写真をアップしていたので、思い出しながら書いておこう。
Escape ・・・ 1 の続きで。
●
山陰本線で、花園あたりを通過して、嵯峨嵐山駅に到着。
まだまだ一日は始まったばかりの時間だったのだが、お年寄りの活動タイムとしては、フルコースで言うところのメインディッシュである。というわけで、駅前はおじん&おばんで一杯。コントか!と思った。
「レンタサイクルで、天龍寺まで来てくれー。」
とのことだったので、早速受付をしてチャリをゲット。
そ し て マ マ チ ャ リ 。
残念ながら「手カバー」はついていなかったが、形状はつい1時間前まで乗っていたものと相違ない。
ピンキッシュなバイセコーでキョートをランナウェイとはなかなか、エスタブリッシュ気分とは程遠いが、楽しい。
交通整理のおっちゃんに道を尋ね、天龍寺まで飛ばして5分。他のメンバーと合流した。
な ぜ か J く ん が い る 。
いつぶりだ(笑)。
朝5時に京都に到着して、ラーメンを食べて、
そして既に寺を3つも回っていたというメンバー5人。はえーよ。
天龍寺から見える通りは、一面の紅葉。
やー、きれい。
赤緑が空の青色に映える映える。
めちゃくちゃキレイだった。
そして記念撮影をするおじん&おばん。
これはいい行楽日和ですね。
そりゃ、昼寝もしたくなる。
寺が出来て庭が出来た、というよりも、庭が出来て、寺ができた、
みたいな流れだったのかと思わせるくらい、庭メイン。
ごろーんと寝っ転がって、なーんにもしないで庭だけ眺めてられたら幸せだろうなー。
なんて考えていた、地域センター総会前のそこくるり君。
実際寝転がってるだけだと暇に違いないけどね!
にしても、絶景。
だらだらしたい衝動に駆られつつも、他のメンバーにはせっかくの京都旅行。
若いんだから、じじくさいことはやってられない。じじくさいことはじじいになってから。
ということでさささっと巡回。
同じように大学生で来たのかな?メンバーと出くわす。
奇跡的に、うちらと同じく、 「 男 だ け 」 だった。ははは。
そして、ご利益も読まないままに、
池にコインを投げ入れるぜゲーム!がスタート。
ホントは、カエルの像の前の丸い台座にお金が乗ると…みたいなコーナーだったのだが、
この大学生集団&そこくるりたちは、
そのルールを完全無視。
「カエル像にコインを乗せよう!」といきがる。
結局乗らずじまいだったが、面白かったな。T村くんが全然上手くなくてうける。
後で裏側を通ってみると、
なにやら網が。
これで、池の中のお金を回収しているのだ。
ああ! こんなもの! みたくなかった!
てか、隠しとけよ。
●
そんな残念な天龍寺スタッフとは対照的に、きれいなもみじたち。
今年は見ごろが遅かったようで、一番良い時期に行けたんじゃないかなー。
うつくしきかな天龍寺。
●
ということで、お昼ごはん時になったので、食堂を探しに移動することに。
全員がピンクのチャリ、
そしてそれなりに大柄、
服はほとんど黒系。
轟々と音を立てながら、6人がチャリで狭い道を疾走する。
テロだ!
これはテロだ!
激しくクルマと歩行者の邪魔になっている!
まさしく忌むべきテロルである!
いやー、ホントにじゃまだったねあれ。
京都のみなさんすんません。
でも安全運転でしたよ。
結局お店は見つかったものの、自転車を止める場所が無いというオチに苛まれる。
会議をするチャリーズメンバー。
この陣形…
どこかで…
ゾーン
ま、いいや。
とりあえず中学生みたいな会合を終えて、結局天龍寺までチャリを置きに行くことに。切ない。
とりあえず見つけたお店へGO。
お昼に頼んだ「嵯峨定食」がおいしすぎて笑ってしまった。
湯豆腐おいしいよ湯豆腐。
腹ごしらえを終えて、午後の部へと差し掛かっていくのであった。
再びつづく。
「祭りオタク」について本気出して考えてみた [そこくるりずむ]
オタク、という言葉の中に含まれる人物の姿かたちについて、最近思うところがある。
自分の周りだけ「ではない」広がりを見せている、インターネットを介した「実体のない気運」のようなもの(例えばニコ厨など)の正体は一体何なのかと何かにつけて考えていたのだが、昨日とある人との会話の中で面白い結論に結び付けられそうだ!と直感的に感じ、今タイピングしている。
1970年代のアニメ、特にガンダムブームを始祖として語られるオタクが、その言葉の範疇に含むものをどんどん増大させてきている様は、1960,70年代の「学生運動」的気運とどこかマッチするような気がしてならない。
●
斉藤環の『戦闘美少女の精神分析』を始め、様々なところでオタクの定義はされているが、主だったものは大体次のようなものだ。
・ある分野について、お金や時間にに糸目をつけず、全てを注ぎ込める人。
・アニメや漫画などの二次元"的な"ものを偏愛する人。
オタクのファッションについても色々と調べているが、やはり彼らがネルシャツにジーパンという服装(もちろんシャツはズボンにin!)なのは、単純に「DVD」や「フィギュア」にお金を注ぎ込んでいるからであるし、そうやって自らが偏愛するものに対する「知識」や、「モノ」をコレクションすることに快楽を見出している様子は、偏愛と言って過言でない。
パソコンオタク、鉄道オタク、アニメオタク、ミリタリーオタク、どうしても男性的なイメージがつきまとうのは仕方が無いが、そこは新たなジャンル「女性オタク」の登場によって、バランスが取れてしまった印象がある。クルマオタク、バイクオタクと続けると一気に領域は広がったように思えるが、そこにどこか近寄りがたい雰囲気が伴い続けるのは、やはりその閉鎖性によるものだろう。
とにかく、誰彼に聞いても一致するオタクのスタンダードなイメージは、やはり電車男などで培われた「あの姿」なのである。「あの姿」と聞いて今あなたが思い浮かべたイメージとスタンダードは、あまり変わらない。
●
しかし、最近(特に『涼宮ハルヒの憂鬱』以降)、オタクという人種にもう一つ、分野が加わったような気がしてならない。先ほどまでに挙げた「オタク」とはまた違った側面を持つオタクたち。そこくるりは「祭りオタク」と呼んでいるが、そうした人たちがある意味で現代のオタク界をリードしているような気さえする。ピンと来る人来ない人、両方いると思うが、その「祭りオタク」について少し見てみよう。
wikiの「祭り」の項に、「インターネットスラング」として掲載されている。
一部の電子掲示板で、特定のスレッドが異常な盛り上がりを見せ、流れが通常よりも速くなっている状態を(お)祭りという。
「祭り」が起こる原因はブログ炎上や芸能人等のスキャンダルな事件・ニュースが多いが、ネットいじめ(祭り上げられる)等といった迷惑行為であることも少なくなく(そうでないメディア等のアンチテーゼの場合もある)、それを見て面白がった者達が関連する掲示板のスレッドなどに続々と参加することによって「祭り」が更に盛り上がる。
この状態になると、「祭りだワッショイ(ワショーイ)」、「( ´∀`)お祭りワショーイ」というような書き込みも多くなる。
また、単に群集心理などに乗じた愉快犯的にこの様な行為を好んで行う者を指して、「ネットイナゴ」などの言葉も作り出されている。
こうした愉快犯的行動の最たるものとして、「オリコン1位にしよう運動」を見てみる。
2005年の『魔法先生ネギま!』テーマソング、『ハッピー☆マテリアル』。なんだかまだ記憶に新しいな、が、この運動のスタートである。5月31日付けのITmediaニュースで取り上げられ話題になったが、「オリコン1位にしよう!」サイトが立ち上げられ、Amazonや店頭などの購入を促進して結局最高3位まで上り詰めた。1月からの6ヶ月キャンペーンで割と長い戦いを強いられたようだが、1位をとれなくともあまりある勝利を、祭りオタクたちは手に入れた。因みに僕は5月バージョンが
2006年は『涼宮ハルヒの憂鬱』テーマソング、『ハレ晴れユカイ』。こちらは最高5位とハピマテには叶わなかったものの、「振り付け」という新しいジャンルを持ち込むことで、今まで以上の興隆を見せた。「高校の文化祭で『ハレ晴れ』踊りました!」というスレやらカキコミやら動画やら(ちょうどyoutubeが市民権を得始めた頃だ)がアップロードされたのは記憶に新しい。
キャラソンの売り方については「アニメ製作側が儲けるために『1位にしよう運動』をもちかけたんじゃないか!」と、オタクならではの冷めた視線もあったが、祭りオタクの絶対数がここで大幅に伸びたために、オリコン5位を獲得できたのだろう。メーカーに踊らされていると分かっていても、踊りたいのである。
そして2007年、『らきすた』のテーマソング『もってけ!セーラーふく』は、ウィークリーチャートで堂々2位を獲得することになる。これはまだwikiがアツイのでこっちを見たほうが早いだろう。言わずもがな、今年一番のブームとなったアニメのテーマソングはニコニコ動画の普及と合わせて数々のMADを生み出し始めた。また中途半端に出来が良過ぎる(真似されることを想定して作ったんじゃないかと思うくらい)オープニングアニメーションのおかげで、絵が描けない人も、小説が書けない人も、「二次創作」を行うことが可能になったのである。この功績は大きい。
平野綾効果、あるいは『らき☆すた』そのものがもつ自虐性自嘲性などなど、要因は他にもいくつかあるだろうが、二次創作の可能性をさらに広げたことで、ムーブメントそのものも大きくウェーブした。どこまで泉こなたが愛されていたかは曖昧3センチだが、祭りオタクがパロディのパロディだと分かってそれを享受していたことを考えると、そりゃ唯一ぷにってことになる。もとい唯一無二。ちょっ!歌詞の心地よいラッピングが清福(制服)で、1位を獲得したV6の新曲と比べても全然不利ってことはなかった。ぷ。
そうして広がった幅は、今『初音ミク』の登場による「音声二次創作」によって新たなステージへと進んでいる。もう、作ることは、楽しいのだ。
●
で、だ。それぞれのアニメで一つずつレポートは書けてしまうだろうが、それを包括的に見たとき、最初に書いたように、そこにあるモチベーションが極めて「学生運動」と似ているのではないかと、そこくるりは考えたわけである。
それを二つの側面から見てみよう。祭りオタクのオタク的側面と、学生運動的側面、それぞれの合致点とズレが、より祭りオタクの実体を暴いてくれることに違いない。
●
まずオタク的側面について。
オタク的、と言っている時点で先ほど書いた「オタクの定義」と合致する部分が多数あるのは分かるだろう。オリコン1位運動にしても、それらは全て「アニメソング」である。別に「倉木麻衣の曲を1位にしよう!」でも「鈴木あみの曲を1位にしよう!」でも、何でもいいはずなのだが、アニソンが選ばれたのは祭りオタクがやはりオタク的側面を持っているからに他ならない。
また、その「祭り」という側面も、オタクに必要な項目だ。
「祭り」のそもそもは、「祀る」であり、神様を崇め称えるという動機から生まれたものだった。とするとまず、オタクたちに祀られているものは果たして何なのか、という疑問に突き当たる。これは中々答えを出すのが難しいのだが(そこくるりくんは「母」であると主張したい)、とりあえず、何かしら実体の良く分からないものであれ「祀っている」ことは確かだ、という答えで抑えておきたい。対象も大切だが、その行為に今回は注目してみる。
再び斉藤環だが、彼によると「オタクの持つフィギュアは、いわゆる仏像の類」だという。これには心底頷ける。祀っている何かを偶像崇拝するために、オタクたちはフィギュアを集める、なんとも説得力のある言説だ。として、「設定本」や「同人誌」は、「経典」や「伝記物語」にあたるだろう。
そして先ほど挙げた「振り付け」。あれはさながら「盆踊り」である。シャーマンさながら、神を称えて祀るために、オタクたちは『ハレ晴れユカイ』を踊り、「もってい~け」と歌う。宗教とまでは言わなくとも、それに近いモチベーションで彼らは動いている。
つまり、資質として彼らは十二分にオタク足りえているのである。
だがしかし、最初の方で想像してもらったオタク(「あの姿」)のようなスタンダードさが、この祭りオタクのイメージと合致するかというと、そうではない。むしろ、緑チェックのネルシャツにダメージジーンズ、そしてダンロップのスニーカーにリュックからはポスターが…と散々揶揄されてきたような人種が、祭りに参加している姿は異様に思えるのではないだろうか。普通のオタクたちは、その作品が好きであれば祭りであろうがなかろうが「買う」はずだ。ハピマテのCDがオリコン何位になろうと関係ない。それは二次元偏愛者だけに限ったことではないだろう。
このように、コレクションを髄とするオタク、好きなものに対しては極めて純粋な態度をとる「普通のオタク」と「祭りオタク」の間には、埋められない溝がきっちりと掘り込まれているような気がする。だから前者は、マニアと言い換えても良いだろう。
つまりここまでの条件として、祭りオタクは、
・二次元的なものはそんなに嫌いじゃない。
・まぁでも、コレクションまでは別にしなくていっか。
という人種なわけだ。こうした態度自体、「ゆとり」によって形成されたのだ、という見方もある。
異論もあるだろうが、次の側面に移ろう。
●
学生運動的側面について。
どうにも、近頃の「Web炎上」などの様相を見ていると、そこに「ネット版学生運動!」のような気運が見え隠れしてならない。最近だと『恋空』のAmazonレビュー事件や、「薮本雅子ぶろぐ」あたりが有名だが、ROMの数を考えると相当な「運動」になっている空気はヒシヒシと伝わってくる。
と
て
も
ク
リ
|
ミ
|
スイーツ(笑)
そもそもの学生運動とは、社会的ないし政治的なものへの批判を持ちやすい学生が、自分たちのモヤモヤした気持ち、社会に出るまでのモラトリアムに悶々とした日々、モテないことへの恨み辛み、などを仮託して行うものである。何かしら自分の主義主張と合わないものへの反発を、あり余っているエネルギーを一挙に発散させて行う運動は、安保闘争や全共闘のようにパワフルだ。
として、Webを炎上させるようなモチベーション、あるいは大して好きでもない音楽のCDを買ってオリコン1位を目指すようなモチベーションは、やはり学生運動のそれとほぼ同じなのではないだろうか。
学生運動と祭り運動の共通点を挙げてみよう。
・大学生、あるいはそれに近い年齢、職業の人たちによって行われている。
・自らの主義主張に近い「徒党」に属し、運動を行う。
・抵抗反発すべき対象に対しては容赦のない批判を行う。
・その活動に全てを捧げようとしている人が居る一方で、大半は「なんとなく」従事している。
・大人数で行うことで、それなりの成果が生まれる。それが次なる運動の動機につながる。
・モテない。
これくらいだろうか。確かに、似ている。
これまたイメージの問題だが、学生運動が行われていた当初の映像に出てくる人たちが、そのまんま2007年の現在にPCの前でblogを炎上させる書き込みをしていると仮定して、あまり違和感がないのはなぜだろう。せいぜい、拡声器とヘルメットがマウスとモニタに変わったくらいだ。
とりわけ、恋愛至上主義の社会が完成した現在において、モテるモテないは「主義主張」に関わる問題にすらなっている。とすると、そこで抱く不条理さ「なんでモテねぇんだよ!」というような怒りが屈折して、「もう、オリコン1位にしてやんよ!みっくみくに(ry」と成り代わっていくのは想像に難くない。
そして彼らの活動範囲であるインターネット空間は、まだ無法地帯であるがために「人の利(人数)」を活かした「運動」であれば勝利は確実になる。よく出来たつくりである。
何か腹が立つ ブームが起こる 炎上させる 自分が炎上させた気になれる またブームが
という流れは、
何か腹が立つ 運動が起こる デモに参加する 自分が何かやった気になれる また運動が
という学生運動の流れと変わらない。
両者ともに、そこに目的や展望を持っている人物は一握りなのだが。皮肉だ。
●
長々と、祭りオタクの持つ2つの側面について見てきた。
彼らはやはり、ある程度オタク的なものを愛しつつ、
かつ自らのルサンチマン(モテなかった、才能が無い、金が無い)を発散する場所を求めている。
その欲望がネットという空間で出会い、大きな運動となるのが、「祭り」なのだろう。大学生で、かつヤンキーやギャルになりえない人種が行き着く先は、1960年で言う学生運動家、2007年で言うオタクなのだ。
祭りオタク=Vipperじゃね?という意見もあるだろうが、やはりそこにはどうにも埋まらないズレがある。「祭りには参加するがVipは見ない」という人もいれば、「VipperだがCDを買うのは断るッ!」という人もいる。2chが果たしている功績は大きいが、必ずしもVipperないしニコ厨だけが祭りを作っているのではない。
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一斉にニコニコ動画が普及した様を見ていて抱いた感想から、こんなことを考えたわけだが、よくよく思い返してみると、2004年、あるいはもっと前、02とか?から、その地盤はどんどん整えられてきていた気がする。
ネットスラングが一般に使われるようになるまで、以前はそれなりに時間を要していたが(半年とか)、今はもうそのタイムロスがほとんどなくなってきているような気がする。単純なネットインフラの整備と、社会情勢の変化、コンテンツの充実など時間によってもたらされた枠組みの改変によって、新たな学生運動の基盤がオートマティックに整備されたと考えると、なんとも「歴史は繰り返す」な、といったところだ。
さてまた、次の祭りが始まっている。
『地獄少女』 [アニメ]
『地獄少女』のコミック版1~4巻を読んだ。
なかよしさん、これ、連載してちゃーまずいんじゃないかい?
ストーリーをwikiより。
最近世の中に、ある都市伝説めいた噂が流れていた。「午前零時にだけアクセス出来るホームページ『地獄通信』に憎い相手の名前を書き込み、送信ボタンをクリックすると、地獄に墜とせる」 。 しかし、それは噂ではなく真実だった。
怨みを持った者が『地獄通信』に書き込むと、その瞬間、セーラー服を着た長い黒髪の赤い瞳の少女が現れる。 その少女こそが「地獄少女」またの名を「閻魔あい」なのだ。彼女は依頼主に契約の証である藁人形を渡し、“地獄流し”へ至る方法 ―― 人形の首にかかる赤い糸を解けば契約は成立し、憎い相手は地獄へと流される ―― を語る。但し、あいは“その代償として自分自身も死後は地獄で永遠に苦しむことになる”とも言うのだ。果たして、依頼主はその糸を解き、怨みを晴らすのか、それとも思い直して踏み留まるのか?
地獄少女は全てを見通すかの様な涼やかな瞳を相手に向け、ただ一言告げる。「あとは、あなたが決める事よ」と。
読んで分かる通り、まぁ人の恨みは怖いもんだよ、という話。違うか。
オムニバス形式で、主人公は毎回変わる。いや、主人公は閻魔あいちゃんなんだけども、当たるスポットが違うのだ。一話完結の方式で、どこか『笑うせぇるすまん』的なにおいが漂っている。システムはね。ひどいめに遭った主人公が、その恨みを晴らすためにサイトに書き込むが、はたして本当にそうやって恨みを晴らしてしまって良いものなのか?と、読者である我々に問いかける、あるいはその葛藤を描くのがこの物語の本旨である。
元はアニメ出発。MBS(毎日)からTokyoMXへ移行して、2005~2006年にかけて放送されていたらしい。実家で見た記憶があるな。
のとまみかよ。
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ま、それは置いておいて、だが、
この『なかよし』連載の地獄少女、教育的にヤバイんじゃないかと思ってしまうような描き方がされている。
大学生という立場で見ると、冷静に「今、恨みを晴らすことで得られる幸せ」と「代償として、死後永遠に地獄をさまようことになること」を比べることができるが、果たして『なかよし』を読むような少女に、それが可能なのだろうか。死後の世界を信じるか信じないか、そうした主義主張も関わってくるかもしれないが、そんなことよりももっと冷静に、「今」と「未来」を天秤で量ることって、できるのかい?
何が良くないって、この漫画、
「恨みを晴らされた相手が地獄に流されて、願いが成就した方は幸せになりましたとさ。」
というところでストーリーが終わってしまっている。(例外はもちろんあるが)
自分が受けた仕打ちに対して、不条理に対して、ケータイ一つで簡単に「恨」めてしまうシーンを延々と続けるのは、やっぱり良くないんじゃないかと思い続けている。葛藤も無く、頭に血が上った程度で簡単に相手を地獄に送れてしまうストーリーが続くと、それを読んだ少女たちは同じように「都合の悪いことがあれば、地獄送りでいいんじゃね?」と思いながら育ってしまう。非常によろしくない。
「シンデレラは幸せに暮らしましたとさ」で物語が終わっているために、世の女性はその先をイメージできるようになるまで時間がかかる、なんてジェンダー系の本に書いてあるが、同じように、「そして悪いやつは、地獄に送られましたとさ。めでたしめでたし。」では全然めでたくない。
その後の「地獄でさまよい続けることの怖さ」や、あるいはそうなってしまうことが「決定済み」であることの恐怖、などを描かないと、やばい。
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元来、子供は自らの受けた不条理な仕打ちに対する抵抗反逆復讐を、正当化する能力に長けている。それはもう醜いくらいに。その、負の部分だけを増幅させてしまう危険性があるのではなかろうか。
やー、無駄な親心みたいなもんが芽生えてきたみたいで嫌だけどさ、
これはさすがにまずいだろー、と思いつつ、5巻に手を伸ばすのであった。
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詳しい人に聞いてみると、アニメ版はそうではない、とのこと。
まだ見ていないので分からないが、葛藤とか、恐怖とかがきちんとアニメでは描かれているらしい。恨みを晴らした方にも様々なことが起こる、みたいなストーリーで進むとのこと。まぁ確かにそうじゃないと、作品としての深みもないな。なんてこと言ってると…
「いっぺん、死んでみる?」
Escape From The Thinking ! Kyoto ! 1 [旅々]
京都へ紅葉狩り。
はるばる横浜から来たLDメンバーと合流して、一日目一杯寺巡りだった。
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朝8時前に家を出て、最寄り駅の篠原へ。
自転車で20分とステキな距離を、眠い目をこすりつつスタートだ。
と、思ったのだが、中高6年間乗り続けた愛用のチャリンコが前輪をパンクさせている。ビニールハウスの中で放置自転車並みに放置されていたこともあってか、タイヤがぺちょんぺちょんだった。やべー間に合わへーんと焦りながら、目に付いたのは祖母の自転車。これで、行くしか、ないのか。
えんじ色の輝くフルメタルボディに、やたらと低いサドル。
カマキリ型のハンドルに、壊れかけてベコベコ音を鳴らすチェーンカバー。
錆びて動かなくなったチリンチリン、
そして、見るものを釘付けにする、
「手カバー」(刺繍付き)
全てを兼ね備えたこのチャリンコに乗って、篠原駅を目指すことになった。
小中高と「ババチャリ」と馬鹿にして、乗っているやつはいじめの対象にすらなっていた自転車に、今僕はまたがっているのだ、というある種の感動めいた感情を抱きつつ、田園風景を切り裂くように走っていく。
この年齢になったからこそ、知り合いに見られても「いやー、乗る自転車が無くてさー」と言い訳できるだろうが、小中高生の頃だったら、たとえパンクしていても確実にババチャリは選ばなかっただろう。いくら言い訳してもいじめられるだけの行き過ぎたロイヤリティを、ババチャリは持っている。
だが、「手カバー」?正式名称は分からないが、
こ れ が め ち ゃ く ち ゃ 温 か い 。
あなどるなかれババチャリ。
ババシャツが一時期見せた興隆を思わせる「温かさ」を、あの「手カバー」は持っていた。
恥ずかしさを代償に得られるものは大きい。
ちょうどiPodのランダム再生が、pillowsの「RUNNER'S HIGH」をチョイス。
Escape from the thinking !
Do you see what I mean ?
と、思い切りこの場を表した歌いだし。
手カバーババチャリに乗っていては、まさしく「Escape from the thinking」である。
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まだ朝8時過ぎともあって、辺りは寒々しい霧に包まれる。
マフラーを忘れてきてしまったので、寒い寒い。
走り続けて25分。駅前の平和堂に自転車を止めて、駅へと到着した。
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京都へ向かう電車の中、ちょうど登校途中の女子高生二人組が近くに座る。
会話の内容に聞き耳を立てると、「前日別れた所から、今朝会うまで」をお互いに確認するかのように、報告し合っていた。これが非常に面白い。なんなんだこの作業は、と思いつつ、一つ一つ紡ぎだされる女子高生の日常に興味が湧き出る。
「家帰ってー、宿題してー、寝ちゃってー、でなー、お母さんが起こしに来てくれたんやけど、もう9時で、全然ご飯食べる気せんくてー、漫画読んで、宿題仕上げてたらもう12時やんかー。でもなかなか寝られんくて、結局寝たん2時やってん。」「えー、遅刻せんで良かったなー。あたしはー、家帰ってー、ちちんぷいぷい見てー、宿題してー、ご飯食べて、有閑倶楽部見てー…」と延々続く。一人ひとりが「俺のターン」のように、自分語りを共有していく姿が滑稽だけど新鮮で、面白かった。多分高校時代はそんな会話もちゃんと耳にしてたはずなのになー。
京都駅について、山陰本線に乗り換え。
なつかしのオレンジ電車で、嵯峨嵐山へと向かうのであった。
つづく。